読み聞かせワークショップ をつくるためのワークショップ
ブログをなかなか更新できなくて、すみません。文章を短くして、もう少しこまめに書きますね。
この半年くらいスランプ気味。2018年冬号の「抒情文芸」に小説がかろうじて載り、安堵しました。この「ミントティ」という短編、ぎりぎりまで書けなくて、締め切り当日に刊行会のポストに投函したのでした。なんだろうなぁ、小説を書く動機が弱くなっているのかな…。
そうそう、先週、〈読み聞かせワークショップ〉をつくるためのワークショップをしたのです。
――参加してくださった皆さま、ありがとうございました。これを参考に開発していきたいと思います。<(_ _)>
予想はしていましたが、人それぞれ絵本への関心の持ち方ってこんなに違うんだなぁと思ったんです。そして、その選んだ動機が強いほど聞き手には伝わる。だとしたら、淡々と読むだけで良いはずはないですね。
そういうことを証明できるワークショップができると良いなぁ。年明けに、またやってみたいと思いますので、よろしくお願いします。
今後の読書会の予定
読書会のお知らせをしておきます。場所は町田市民フォーラム3階多目的室です。
▼子どもの本の読書会(10時~12時)
★12月22日(金)クリスマスの本を持ち寄って
…この日は情報交換を兼ねたクリスマス会ということでしょうかね。
★1月26日(金)中垣ゆたかさんの絵本(予定)
▼ささやかだけれど役にたつ読書会(13時半~15時半)
★12月22日(金)「こちらあみ子」今村夏子
★1月26日(金)「アンチクリストの誕生」レオ・ペルッツ(予定)
今までなんとか無料でやってきましたが、今後も続けていくために来年から読書会の形態を少しずつ変えていこうと思います。
私を含めて運営メンバーが多忙で、読書会の準備に労力がかかっていますので、その実費程度の参加費500円をいただくことになりました。内容も今までより深められたらと思っています。よろしくお願いします。
また、読書会の他の勉強会やワークショップも企画していこうと思います。来月には早速「絵本の読み聞かせ(朗読)」のワークショップを考えています。まだお試し段階ですので、色々意見をいただけるとありがたいです。
★お試し 読み聞かせワークショップ
12月8日(金)10時から12時 無料
もうひとつ、「若い人と一緒に血行を良くしよう若返ろう」演劇ワークショップを企画しています。発声と簡単なシーンづくりをします。講師は若い人です。
★演劇ワークショップ
1月13日(土)18時から 参加費500円(学生さん無料)
(※ワークショップの内容により場所が多目的室ではなく視聴覚室になります。)
ヨーロッパ文芸フェスティバル
先週の木曜、金曜、土曜とヨーロッパ文芸フェスティバルに参加してきました。
国際東京文芸フェスティバルがせっかく何度か開催されたのにもう企画はないと聞き失望していたので、企画を知って慌てて申し込みました。
初日は西麻布の駐日欧州連合代表部で。オープニングセレモニーの講演も含めて5つものイベントに参加できました。ビュッフェ形式で各種チーズを使った軽食とワイン、デザートもいただけました。そうか、ヨーロッパ文学にはチーズとワインと甘いデザートなのかなと思いました。
休憩時間に中庭に出てみました。
これはなんでしょうね。不思議な作品がありました。
内容についてはひとことで書けませんが、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、チェコ語、エストニア語などで朗読や文学についての話を聞けたこと、大変刺激的でした。母国語という考え方にもバリエーションがあり、それぞれの作家が母国語をとても大事にして書いていることが伝わってきました。
日本語についても考える良い機会になりました。日本語はそれほどマイナー言語ではないと思いますが、柔らかで変化しやすい生命観あふれる言語なのではないでしょうか。
この日、一番感動したのはイタリアから来られたカルミネ・アバーテ氏が語られたこと。アルバニア系の少数言語アルバレシュ語が話される環境で育たれたそうで、イタリア語を学んだのは小学校に入学してからなのだそうです。もともとしゃべっていた言葉・方言がないとリアリティのある物語はひっかかってこないのだと。先日、町田康氏が語られていたことと同じだなと思いました。
エンドレス・ポエトリー
先週末、88歳のホドロフスキー監督の新作「エンドレス・ポエトリー」を観てきました。前作「リアリティのダンス」の続編になっており、これはやはり自伝なのだなと納得しました。
それにしても…。パンフを読んだら、構想としては5部作だそうで、今回はその第2部。現在、すでに3部の脚本を執筆中だそうです。たぶん体験が全部つながって自分というものができあがっていることを強く感じているからこそ、それを表現しておきたいと思うのでしようね。
「リアリティ~」が少年時代だとすると、今作は青年期の進路選択がテーマ。そんなふうに言うと、日本の高校の進路説明会などイメージしますが、もちろん映画は大変にシュールで刺激的な表現になっています。
そうですね、青年期は大事ですね。自分の体験を思い出し、気持ちを新たにしました。
初日に行ったので映画館で座席ビンゴゲームがあり、ブックカバーが当たりました。と言っても、これ、紙1枚です。
……いや、私はくじに当たることが本当になく下手に当たると怖いので、安心しました。来年の手帳に使わせてもらおうっと。
あと、紹介しそびれていた「サーミの血」もまだ上映していました。これも少数民族の女性がやっぱり青年期を迎えて進路選択する物語と言えます。
こちらは差別を扱っていることもあり、正反対と言ってもいい真面目なつくりになっていますが、恋愛に微妙に手が届かない感覚はちょっと似ているなぁと思いました。そういう年ごろなのでしょうか。
この映画も初回に行ったのでプレゼントに、なんと長くつしたのピッピの木製コースターをいただきました。愛用しています。
職人技
あれやこれやと雑用が多く、仕事も増えていてなかなかPCを開く時間がありません。こんなことではますますスランプになって小説が書けなくなってしまう…。いや、スランプだからPCを開かなくなっているのか?
ブログを更新しようと外出にPCを持ち出しています。
目の前では難しい顔をしたおじさんがクリスマスのイルミネーションを飾り付けています。脚立を出して、文字をビスで固定していますが、それはちょっと低すぎて頭がぶつかってしまうのでは。
と思っていたら、おじさんもそう思ったらしく外して付け替え。いや、これでも低いかなと腕組みをして考えていたと思ったら、土台の柱そのものを高い位置に。職人技とは遠いけれど、いかにも手作業といった感じです。そうやって多くのことが世の中で回っているのでしょうかね(自分のやっている仕事を考えてもそう思います)。
ピッピのメルマガに紹介した本をここでも。60年前に亡くなったペルッツの「アンチクリストの誕生」という短編集。表題作はタイトルこそ強烈ですが、昔話のように極端だけれどもさっぱり軽やかな展開。でも、緻密な構成とその息の長い話術に舌を巻きました。これは職人技だなと思ったんです。
先日、多摩センターを通ったら駅前はすっかりクリスマスのイルミネーションに彩られていました。作業は大変だったでしょうね。
週末のイベント
忙しくしていると体力的に厳しく、PCを開く頻度がますます減っています。もう少しペースを考えないといけないのでしょうね…。
先週末は、中央大学の学園祭で町田康氏の講演会があると教えていただき行ってみました。「告白」の読書会をやったばかり、あまりにタイムリーですものね。「読むことと書くことの関係」というタイトルそのままの丁寧なお話でした。
簡単に言うと、文章力をアップさせる方法などないので、最初から書くことを考えてもしょうがない。まず小説をゆっくり百回読め、と。本当にそうですね。みなさん、ぜひ読書会に参加してください。
あ、これだなぁと気になったこととして、何か立派なことを言おうとして(私たちの読書会で言えば、正解を求めて)大したことにない変な軸を立ててしまうと、それにとらわれこわばってしまい、自由に読めなくなってしまうということ。これ、読書会でもよく見られることです。
自由にというと「好きに」と勘違いしてしまうかもいますが、そうではなくて、何にもとらわれずにゆったり読むと、色々なことを感じるものなんですよね。そういうことを言っておられるのだろうと思いました。
そうやって読み続けると、良いものと悪いものの区別がつくようになり、更に読むと、本物と偽物の区別がつくようになると。この能力って、読書だけに使えるわけで
はないと思うのですよね。
今週末はお隣の明星大学で青年団の「ヤルタ会談」を観ました。公演の後、平田オリザさんの講演と質疑応答もついているという大学主催の公開講座でした。
今まで平田オリザさんの演劇は何本か見ていますが、ちょっと違う印象。ヤルタ会談といえば三国のトップ会談ですが、リアルなものではなく戯画化したすたーりん、ちゃーちる、るーずべるとが出てきます。
きわどい表現も多々あり――というのも私たちがあまりに表現の自粛になれているせいですが――ものすごく重い内容を軽くしてしまうところで観る人を不快にさせる問題もあると思いますが、逆に、ふっと力が抜けて気持ちが軽くなりました。健康的な感じというのでしょうか。
演劇はプロパガンダではないので、たとえば「戦争をしてはいけない」という主張をするのではなく、戦争が起こったのはこういう事情があったからなのだということを解明し説明することなのだというお話に共感しました。
小説もそうだと思います。「告白」もそういう小説でしたね。そういう意味で、小説も演劇も社会に必要なものなのですよね。
「告白」と「雪女」
昨日の読書会。自分で選んでおきながら、なんという組み合わせなのかと思いました。どちらも異形のものというか、どちらも人間世界を離れてあちら側の世界に行ってしまう物語でしたね(冷汗。
ラフカディオ・ハーン「雪女」は岩波文庫の『怪談』に入っていたものを朗読させてもらいました。日本で語られてきた昔話ですけれど、ハーンが書き起こしたということで、西洋的な空気も混ざった色鮮やかで奥深い物語です。
小学校高学年に同じものを読み聞かせたことがありますが、子どもたちはしっかり理解してじっくり聞いてくれました。平井呈一さんの、一般的感情に合わせて日和らず、忠実に雪女の感情をたどっていく訳が良いです。
だからこそ感じる怖さというのがあって、ひとつは雪女がまとっている自然の厳しさですが、雪女の女性としてのあまりに真剣な感情もあるのではないかと思います。日本の昔話としては「鶴の恩返し」のほうが好まれるのは、かつて自分を犠牲にする女性のほうに親しみを感じた日本人の価値観のせいなのでしょうかね。
今、女性としては、鶴が自分の羽を抜いて機織りする行為を考えると苦しくなりますが、その反対に、どこまでも自分の意志で行動していく雪女に対してはどう感じるでしょうね。
『告白』は、明治期に起きた河内十人斬りという歴史に残る凄惨な事件の犯人の人生を内面から描く小説です。どちらかというとどん臭く、頭は良いけれど力も弱かった熊太郎は、両親の寵愛を受けて甘やかされます。実母が亡くなっていることから、余計に甘やかされてしまうのです。更に自分で自分を甘やかすことで引き返し不能なところまで行ってしまう…。
町田康さんの独特な語りのリズムに引き込まれて600ページを超える小説を、皆さんそれほど苦労せず読まれたようです。でも、読書会をやってみてあらためて思いましたが、やぱり相当に重い作品です。
(一人で読んだときはひとつの視点でも、読書会では少しずつずれた複数の視点で読むことになるので、うまく整理すると立体像が見えてくるのです。)
熊太郎が独善的に内側から見る世界を語っていくだけでなく、その世界に生きた空気を送り込むために、現代との距離を測りつつ外側の視点も存在していること。その中で広がっていく世界の、どこまでが現実で、どこまでが幻想か。どこまでが真実で、どこまでが嘘か。そんなことを考えつつ読んでいると、最後に世界がひっくり返る。
あまりにきっちり物語世界が構築されているからこそ、ひっくり返る衝撃が大きい。でも、よくよく思い出してみると、熊太郎の記憶や思考にほころびがいくつも描かれていたということが思い出されます。無意識な誤魔化し。
面白かったのは、参加されたエンジニアのかたの機械図面についてのお話。外側から図面を描くのが当たり前だと思っていましたが、それは日本の常識であって、ドイツでは内側から図面を描くのだとか。
うーん……。
今日は、毒消しに室生犀星を読みました。この本に入っている「幼年時代」という自伝的作品です。舞台になっているのは北陸ですが、時代はだいたい同じです。実母と生き別れて養母、養父に育てられますが、その世界観の違いが面白い。