台風
台風すごかったですね。今年の台風はなんだか変ですよね。
先日は築40年近い我が家が吹き飛ばされないかと本気で心配しました。深夜0時前後はのんびり寝ていられる状態ではまったくなく、家が揺れるだけでなく何が飛んでくるかわからないので窓の近くから離れました。実際、窓が割れたという話も聞きました。
ピッピでは現在、読書案内『ピッピのくつした』の編集会議をしています。その会場に使う施設のお庭の木が被害にあっていてびっくりしました。
何本かの木がドミノ倒しのようになっています。こんなにひどい風だったのですね。
もう葉が枯れてしまっているのですが、根っこが切れてしまったのかな…
次の台風がまた来るのですよねぇ。
皆さん、気をつけてくださいね。
読書会の報告
だいぶ遅れましたが、せっかくPCを立ち上げたので21日(金)読書会の報告を少しだけ。
この日は午前中のリフレッシュお茶会も、桜庭一樹「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」というライトノベルの読書会をしました。
ライトノベルなので、ライトノベルのお約束事をリードにして読むものなんだなぁとところどころ思いつつ、虐待など家族問題はリアルなところがあったのでしょう。お茶会ですので、物語から離れて参加者の方々が自分の体験を語ることが多くなりました。こんなに身近に虐待やDVの事例があるものなのかと驚きました。
Twitterで知った加藤諦三「『五歳児の大人』とそのまわりの人のための心理学」という本も私は合わせて読んだのでテーブルの上に出しておいたら、多くのかたが手に取っていました。
加藤氏が自分の体験を小説に書いてくれたら色々なことが見えてくるのではないかという意見があり、なるほどと思いました。小説は視点をぶらしてはいけないところが難しいのだろうなと、小説とエッセイの違いについても考えさせられました。
午後はメインの石牟礼道子さん「苦海浄土」の読書会。第一部だけとしいうことでしたが、具体的な内容に入るには時間が不足していました。
これが事実だと思えば、水俣病の因果関係やその症状の描写などは読んでいてあまりに辛い気持ちになりますが、石牟礼さんの文章ではそれが読めてしまうこと。このボリュームを読ませるというのは、どう考えてもものすごい文章力です。
読書会で印象的だったのは、どうしてこのかたは自分の能力をすべて水俣病につぎこんでしまったのだろうというような疑問が出てきたことです。差別の構造、石牟礼さんのお人柄、小説を書く意味というようなことも考えさせられました。
午前中のまま「『五歳児の大人』~」が置いてあったせいか、人間がどう成熟するか、どいう育ち方をしたのだろうという話にも。最後は午前と同じ話題に行きつきました。
9月21日、明日は読書会
9月というのは一年で一番体調が良くない月なのですが、これは秋の花粉のアレルギーなのでしょうかね。目や鼻や気管支の不調、耳鳴りなどなんとなくすっきりしません。明日の読書会に支障がないよう、今日は体調を整えます。
メインの読書会は、石牟礼道子さんの「苦海浄土」(一応、できましたら第一部を読んできてください)です。場所はいつもの町田市民フォーラム3階多目的実習室、時間は変則で今回だけ13時から15時になります。参加費は資料代込で500円です。
午前中10時から12時はリフレッシュお茶会。こちらも今回は読書会です。桜庭一樹「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」というライトノベルですが虐待など家族問題を題材にした本をテーマにラフに話し合おうと思います。こちら、参加費は無料です。
私は「苦海浄土」は昨夜やっと第三部まで読み終えました。途中休憩して別の本を読んで気分転換したり、焦って駆け足になったところもあり、熟読したとは言えませんが、それでもしばらく胃もたれが続きそう。こんな機会がなければ読めなかったかも。読めて良かった。
明日はよろしくお願いします。
9月の読書会
この季節が苦手と書きましたが、やはり喘息が出てきています。同じく喘息持ちの友人からは、今年はひどくてステロイドの点滴を何度も打っているという話を聞き、恐ろしくなっています。早めに薬を使ってひどくしないようにしないと。
そういう事情もありますが、それよりも最近Twitterを使うことが増え、ブログの更新が遅れています。今までも気楽に書いていますが、これからもっとラフに書いていこうと思いますので、よろしく。(Twitter→@NWZ97cnMUNFteAr)
9月の読書会は21日(金)石牟礼道子さんの「苦海浄土」(一応、できましたら第一部を読んできてください)に挑戦することになっています。場所はいつもの町田市民フォーラム3階多目的実習室です。時間は変則で今回だけ13時から15時になります。参加費は資料代込で500円です。
それから、この日の午前中10時から12時のリフレッシュお茶会。こちらも今回は読書会になりました。桜庭一樹「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」という薄い文庫でわりとすぐ読める短編です。ライトノベルの形をとっていますが、虐待についての描かれ方にリアルなところがあり、それぞれの体験も踏まえつつ自由に話し合ってみると良いのかなと選んでみました。こちら、参加費は無料です。
誕生会
誕生月というのが私は苦手です。
一年で一番持病の喘息が出やすいということもありますが、なぜか変な事件が起こるなどして精神的負担がこの月に集中するのですよね。それで誕生日を祝うどころかいつも8月31日あたりから身構えています。
でも、先週末、お誕生会をしてもらいました。9月にも嬉しいことがあると記憶にインプットされました。本当にありがとうございました。
芥川龍之介「歯車」
最近の中学高校は8月のうちに新学期になってしまうようなのですでに夏休みは終わりという空気が漂っているのかもしれませんが、古い人間(なのか?)としてはなんとなく今日31日が区切りという気持ちを強く持ってしまいます。
というわけで今月の読書会の報告を書き終えておかないと…
今月メインの読書会は芥川龍之介の「歯車」でした。最晩年の有名な作品ですのでご存知の方が多いものの、改めて読んで精神を病んでいる危うさとそれを冷徹に書き記そうとする作家魂に心打たれました。作家は命がけですね、特にこの時代の作家は。
そんなことを思いながら始まった読書会。
作家の自己評価ほど悪い人とは思えず、読み解くほど真面目な人柄を現代の空気に置き換えてひしひしと感じました。やはり遺書の色合いの濃い作品なのだなぁと実感。この後、35歳という若さで命を絶たれてしまったことを思うと心が痛みます。
ここのところ読んでいた多の近代文学作品との比較、特に志賀直哉「暗夜行路」が作中に出てきて主人公が打ちのめされるところ、両者の違いを考えてしまいます。
白樺派の人たちの自己肯定感というのは、この時代で突出していたのでしょうね。日本人に強い同調圧力もなんのその、正しく自尊心を持ち、自我を確立していたのだろうと想像します。そう考えると、親和力に支配されて自分のことよりつい家族のことを優先してしまう芥川は庶民だったのでしょうか。
自分たちはどちらに近いのか、と考えさせられました。
「わたしを離さないで」
ノーベル文学賞を受賞したカズオイシグロの「忘れられた巨人」の先月の読書会の後、「わたしを離さないで」を読まないではいられなくなりました。たぶん同じように読んだかたも多かったのでしょうね。
一般に小説はひとりで読むものと思いますが、読書会で色々な側面から読み解く面白さを知ってしまうと深い小説は読書会でとりあげて見たくなります。そうして、せっかくだからとこの作品の読書会もすることになりました。
いや、実際、臓器移植がテーマのディストピア的な小説の毒気にあてられてしまって、読書会で解消したいという声も多かったのです。
(確かにね。何ねんも前に読んだうちの娘もいまだにもやもや感が残っているというので我が家でもミニ読書会をしましたよ。)
でも、そのねっとりしみついた読後感というのが解消できたかというと難しく、ふりはらっても、ふりはらっても何かがへばりついている感じなのですよね。それだけでなく妙な既視感がある。
臓器の提供者である若者たちの気持もわかるようでわからない。いや、わからないようでいて、わかってしまうといったような気持ち悪さがある。
読書会では色々な意見が出たし、だいぶ読み解いていった手ごたえはあったのですけれども、うーん…
つまり、差別は差別される側の精神を蝕み、変質させてしまうということ。正常に戻すためには結局内側ではなく、外側からの改革しかないのかもしれないなぁとも。だとしたら、本当に難しい…。
(このへんは、来月の「苦海浄土」でも考えてみたいと思いますが…)
はっきり言えることは、カズオイシグロしたことはノーベル文学賞を受賞するべき作家だということでした。似たようなテーマの小説はいくつか思い浮かびますが、そのどれも到達していないところまで行けてしまっているのではないかな
もしかしたら、この時代の私たちがまだこの作品を読むのには早すぎるのかもしれません。