物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

上野

ムンク展の続きです。

せっかく上野に出たので、今公開している京成線の旧博物館動物園駅(金・土・日のみ)を見学しようということになりまして。

ムンク展に入る前に大急ぎで整理券をもらいましたが、入場できるのは13時から13時半までの間。まあ、でも、ムンク展を観ますしね。その後に来ればちょうど良いかも。ところが欲張ってお昼ご飯も食べてしまおうということになったんです。

13時少し前に、近場ということで芸大の学食を利用することに。

ところが13時までは学生と教職員向け。そりゃ、そうですね。ところが私たちはこれ幸いとまた欲張って、構内の陳列館に走りました。

実は昔、私はこの近くで働いており、大学院生の作品などが展示それている陳列館でよく気分転換したものでした。それでつい懐かしくなってしまって。

このときは「ART of 8K」というCG映像とそれを撮る仕組みが展示されていました。

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おっと、いけないい。学食で早くランチを食べないと…

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白身魚のフライと上げ餃子と里芋と上げ豆腐の煮物ですかね。美術作品を制作する学生さんのランチは量が多く15分で食べるのはなかなか困難でしたが、食べて走りましたよ。

ここが博物館動物園駅です。

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いつのまにか閉じてしまっていてびっくりしたのですが、それはいつだったのか? 京成線に乗っていると駅のホームを通過するので、不思議な気持ちになったものです。

えーと…パンフによると21年と8カ月前だそうです。それでは、ここで働いている頃は利用されていたんですね。だとしたら、いつもひっそりしていたので利用者はかなり少なかったですね。

私が最後に使ったのがいつだったか…。昔ながらの堅い切符を駅員さんにハサミできってもらったように記憶しています。

その入り口に、巨大ウサギが頭から突っ込んでいます。「アナウサギを追いかけて」というアート展示もされているんです。

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何十年ぶりに入った古びた階段に足を踏み入れるとタイムスリップしてしまったような気がして一瞬目眩がしました。途中の踊り場で昔のスライドが映っていましたが、その時間はストップしていたのではないかと。

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 改札が見えるところまででカラスの扉に仕切られていました。ガラスにはホワイトペンで何か描いている方々がいました。

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ムンク展に行ってきました。

ピッピのメンバー5人で行ってきました。

特にムンクが好きというわけではなかったのですが、なぜかムンク展に行きたい気持ちが日に日に強くなっていました。それをうっかり漏らしたところ、プー子さんも「会を逃すと『叫び』を一生見られない」、Hさんも「今まではそう思わなかったのに、今とても見たい」と。…やっぱり。

昔、美術の教科書に唐突に出てくるムンクの『叫び』は謎ではありませんでしたか? ここまで人物の形が崩れるほどの苦悩って何? それとも、ただ下手くそなの? と言いつつ、知名度が高いのでギャグとして結構使っていたりする。何だろう?

100点余りの絵を見て一番びっくりしたのは、ムンクの溢れる才能です。本当に下手くそだとは思っていませんでしたが、想像をはるかに越えてすごい人なんだなぁと認識を新たにしました。あの色の鮮明さは画集ではわからないですね…。

もうひとつ思ったのは、文学的な人なんだなぁと。そうなんじゃないかなと思っていたんだけど、やっぱりそうだった。

おみやげに缶バッチを買いました。

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縄文鍋

縄文鍋の報告です。

これは、メンバーのWさんが作って焼いた土器。本当は上部に把手がついていたのですが、とれてしまったそうです。縄文土器の把手だけがよく展示されていますが、やっぱりとれちゃうんですね。

焼いた様子などは「ピッピのくつした」最新号に掲載されています。)

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縄文時代にはこの形が何かにフィットしていたのだと思いますが、その使用法は謎のまま。現代の五徳には絶妙なバランスで乗りました。

これで鍋をつくるのはちょっと無理かということになり、とりあえず卵を投入。

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実際の食事は隣の普通の鍋で作りました。

なるべく縄文風にしようということで、縄文遺跡から栽培していた形跡があるとされている里芋、カブ、ゴボウ、大豆、キノコ類、イノシシではありませんが豚肉を、主に昆布だしと塩で味付けしてみました。

ひとつ工夫したのは、茹でた里芋にドングリとクルミを砕いたものを混ぜ込んで団子にしたこと(コナラのドングリはあくが強いということなので、スライスして何度も茹でました)。

つなぎに片栗粉を使いました。こんなことを縄文人はしていないと思うけれども…。いや、わかりませんね。

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とにかく、ドングリとクルミのむっとする野性の香りが作っている間に部屋に漂い始めました。あまり日常では感じない香りです。

現代のステンレス鍋ですので、すぐ煮えます。さあ、できました。ゆで卵もできています。

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いただきまーす! やはりドングリ風味の塩味。コクがあっておいしい。

上部端っこに写っている粒々はドングリ(コナラ)に塩をふったものです。何度も茹でているのに、大きな欠片だと中のあくが抜けきらないのでしょうか。ちょっと渋いものもある。

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 食べていると体が妙に熱くなりました。これは何の作用なのでしょうか。メンバーのプー子さんが炊いてきてくれた古代米もいただきました。

美味しくて、あっという間に食べてしまいました。

間に合わなかったかた、ごめんなさい<(_ _)>

「ピッピのくつした」23号ができあがりました。

ミニコミ誌「ピッピのくつした(縄文特集)」23号を昨日、印刷&製本&発行しました。町田市内の図書館で無料で手に入れられます。または、こちらに連絡くだされば、郵送(郵送費は有料)いたします。

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お子さんの受験期や介護問題など色々重なって少人数での作業となりました。時間が限られているので、計算して効率よく作業を行ったので予定通りできあがりました。が、無駄がないというのはかなり疲れますね…。

それでも、短い休憩時間に縄文土器クッキーをいただきました。二層になっていたり、土器の焦げをココアで表現してあったり、う~ん、よくできている。

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…というか、ここまで縄文にはまるって私たちって、ちょっと危ない。

今週の金曜日(30日)の読書会は三島由紀夫の「美しい星」です。これも自分たちは宇宙人だと自覚するにいたった家族の物語で、これも危ない感じがありますね。

よろしくお願いいたします。

印刷・製本、忘年会のお知らせ

ミニコミ読書案内「ピッピのくつした」の印刷・製本もとうとう来週に迫りました。実は、家内工業のようにメンバーで手作りしてます。冊子は町田市内の図書館などで無料配布します。よろしくお願いします。またはメンバーに声をかけてくださればお分けします。

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11月27日(火)中央図書館6F、印刷は印刷室で12時~14時、製本は中集会室Bで13時~16時45分です。短い時間でもお手伝いに来ていただけると助かります。よろしくお願いします。

17時から居酒屋で打ち上げも予定していますので、良かったら参加してくださいね。

 

冊子の縄文特集にちなんで、こんな企画もあります。

「縄文鍋を食べよう!」

12月7日(金)13時~16時頃
町田市民フォーラム3階 多目的実習室 ☆器と箸をご持参ください。

縄文人がどんなものを食べていたのか? う~ん、ぜんぜんわかりませんが、どうやらあのごてごてした立体文様がくっついた土器では普通に煮炊きしていたそうなのです。それから、トーハクの縄文展の展示にもありましたが少し農耕も行われていたらしく、栗や豆や里芋やごぼうなんかも検証されているそうです。たぶんそれを鍋で煮ていたのですよね。ドングリだけたべていたわけじゃないんですね。でも、ドングリ入りすいとんを入れようかとも考えています。

縄文鍋がどんなものだったのか少しだけ想像しつつ、私たちのおいしい鍋を囲んで皆さんと楽しくおしゃべりしたいと思います。

縄文と私小説

今月に新しい読書案内「ピッピのくつした」を発行する予定なので、今、編集作業に大わらわです。

なぜか縄文特集ということで近所の遺跡から始まって、町田市博物館や相模原市博物館、ちょうど上野トーハクでやっていた縄文展に行ったり、「縄文にハマる人々」という映画も観ました。先日は山梨縄文ツアーなるものも企画してメンバーで温泉に一泊してきました。

近所の遺跡を紹介するくらいのつもりが、どこからどうハマってしまったのか不明。今までの特集で、メンバーがこんなに夢中になったことはなかったのです。どうしたことでしょう?

ひとつには、世の中が密かにかなりの縄文ブームなのでしょう。

でも、意外に読書会ともつながっていて、石牟礼道子さんの語りが縄文的なのではないかという意見もありました。石牟礼さんの世界をプラスの方向に豊かに語っていく言葉は、平面の絵や文字ではなく土器土偶の立体表現をする縄文的な語りだと思うと納得できるような気がしてきます。

先日のリービ英雄さんの短編に出てきた象の数の話も、言われて初めて日本人にはそういうところがあるのかなと気づきました。

象の数というのは、若い頃のリービさんが脚本の英訳を頼まれて、出てくるぞうが単数なのか複数なのかと作者である安部公房に聞いたという話です。安部氏は「わからない」と答える。日本人はそういうことはどうでもいいからリービ君が勝手に決めなさいというようなことを言われる。でも、長く日本に暮らしてきて、その数なんてどうでもいいんだという感覚を自身も持ったと。

物事をどこまでも客観的に均一に見るのではなくて、大事なところにフォーカスして周辺がぼやけているという見方なんだと思うのですけどね。もしかしたら、小説で言えば一人称と三人称の違いなのかもしれません。

私自身も、かつては私小説というのは受け入れがたかったような気がします。若い頃は、単純に劣っているとかカッコ悪いと思えていたのかもしれません。実際、若い頃はできるだけドライな客観的視点で小説を書きたいと肩ひじ張っていたような。これ、全然うまくいきませんでした。

でも、読書会で続けて私小説を読んできて、あ、そういう考え方だったのか、気づくところが多々ありました。働いていた変なバイアスを取り除くと、以前想像していたこととはだいぶ違って見えてきました。

縄文土器土偶を見る目にも同じようにバイアスがあったことに気づきました。純粋な目で見たら本当に素晴らしい。というかある方面に向いた知恵がある。

そうしてだんだん見えてくる縄文的な思考というのが、私小説と同じく、自分の中にも存在していることが少しずつ見えてきました。たぶん元々あるんですね。あるなら、うまく使うのがいいですね。

世の中的には、それをどんどん捨てようとしていく方向に流れているのかもしれませんが、個人的には簡単に捨てないほうがいいのかもしれない。捨てて上手くいくなら捨てればいいのだと思いますが、捨てないで上手く使う道もあるのでは。

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