物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

高橋源一郎さんと川上未映子さんの対談

昨日の夕方、明治学院大学横浜キャンパスの国際学部付属研究所というところで、作家の高橋源一郎さんと川上未映子さんの対談を聞いてきました。時間的に諦めようと思ったんですけれど、無理して行って良かった。

小説についての色々な話はなかなか興味深い内容でした。それから、「震災以降の文学」というタイトルの講座の中のひとつということで、震災後の表現についての話にもなるほどと思いました。

特に、川上未映子さんの『三月の毛糸』、高橋源一郎さんの『さよならクリストファーロビン』は震災後に読んで感銘を受けていたけれど、あらためてその一部を作家ご本人に朗読していただいて、これはすごく良かったんです。

 

いや、でも、ここに書こうと思っているのはその話じゃなくって。

 

一昨日とその前のブログに書いたことの関連というか、続きなんですけれどもね。

わたしたち主婦メインでやっている市民サークルの活動の今後の可能性みたいなことについてです。

 

対談では、結婚・出産後の生活の変化の話になっていました。川上さんは向いている人と向いていない人に分かれるんじゃないかとおっしゃっていたんです。その向いていない人にとってはということなのかもしれないけど、家族をつくるのってかなり無理なのでは?と。男性と女性が、身体的にも、ものの考え方も、あまりに違いすぎるから。

お子さんの調子が悪かったりすると保育園に預けられず、でも仕事はしないといけないので、実家で身内の女性たちに助けてもらうそうなのですけれど、そうすると本当に楽だと。痒いところに手がとどく感じ。私もかつて女性3人でルームシェアしていたことがあるので、この感じ、すごくよくわかります。

女だけの世界にぬくぬくしていると快感なのに、男と一緒だと「社会」とか「理念」とか「解決」とかゴツゴツしたものが出てきて疲れる、と。

川上さんと言えば、同じく芥川賞作家の阿部和重さんと結婚して去年お子さんが生まれたばかりで、もう幸せいっぱいとしか思えないし、実際にそうだと思うのですよね。そういうかたの口から出てきた言葉だと思うと、ちょっとびっくりしました。

でも、だからこそ、そう思われるのだろうなぁという気もしました。これ、私にも覚えがあるんですよね。もうだいぶ昔ですけれど、幸せいっぱいで結婚して出産したはずなのに…と。

家族になるのはいいんですよ。子どもを産むのも育てるのも。でも、夫婦だけではホント無理なんだなぁ、足りないんだなぁと何度も思いました。なんとかその生活を維持しようとすると、何か大事なものを失ってしまう感じがしました。

 

カップルはカップルでいいんですけれど、それと別に信頼できる同性の仲間って必要なんですよね。身内で間に合えばいいけれど、そういうわけにいかない場合が多いですよね。 

わたしたちのサークル活動にもそういう機能があるといいなと思うんです。