物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

夷狄を待ちながら

昨日読み終えた小説はJ.M.クッツェー『夷狄を待ちながら』です。

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夷狄というのは野蛮人ということ。アフリカの、その地に古くから住んでいる遊牧民のことです。その遊牧民と接触する辺境の町が舞台。その町で長年民政官をしている初老の男が主人公です。

その遊牧民とも、別の漁民とも、それなりにうまくバランスをとって暮らしてきたその町に、突然、帝国の第三局からジョル大佐がやってきます。夷狄が攻撃をしかけてくると言い、捉えた少数民族の人々にひどい拷問を…。

印象に強く残るのは、拷問を受けて体が不自由になってしまった夷狄の女に主人公の民政官が執拗に関わりを持とうとし、最後は危険を顧みずに彼女を家に帰そうとするところ。自分に誇りを持つこと、自分が納得のいく行動をとろうとするところ、そういうことができるというのは強者なんだろうなぁと思いました。

大昔の架空の町という設定だけれど、現代的な閉塞感を考えさせられもして、日本人は帝国側なのか、夷狄側なのかと考えてしまいました。

J.M.クッツェーは何冊か読んでいるのですが、それでもどこに連れて行かれるのだろうとハラハラしながら読みました。

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こちらは小説ではなく、アフリカ、セネガルで生まれた著者の女子割礼の体験が書かれています。『切除されて』というショッキングなタイトルと著者のその当時の写真の表情に、この本を手にするのも勇気がいるかも。

読んでみて、当事者のことはやっぱり理解しがたいところがあると思いました。でも、関係ない他人ごとと思うわけにはいかないし、上から目線で同情するわけにもいかないし…。同じ女性として、こういうことはやめてほしいと思いますよ。

ただ、思った以上に私たち日本人の女性にも共感できることがあるんじゃないかと思いました。出産をしなければならない宿命にあることから、女性の問題というのはどの国にもあって、共通点を持っているなぁと痛感しました。

性器切除のことが明るい場所で話せないように、ごく普通の出産についても話せないですよね。妊娠したとき、自分が出産についてあまりに知らないことに愕然としましたっけ。今は少しは学校で教わるのかもしれませんが、私たちの頃はまったくなかったので、騙された気がしたものでした。