物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

『悪童日記』と『かもめのジョナサン』

読書会の報告が遅くなりました。

皆さん忙しいので1日にふたつの読書会を入れているのですが、2冊が関連するときと違うときとあります。今回は距離があったところが面白かったですね。

1冊目はリチャード・バックかもめのジョナサン』、2冊目はアゴタ・クリストフ悪童日記』でした。

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まず『かもめのジョナサン』について。

もともとは『星の王子さま』の飛行に関する強い思いのようなものはなんだろうということで読んでみた本ですが、もっとずつっと限定された飛行法について書かれているようでした。参加した皆さん、宗教的だと感じられた人が多かったです。

三部構成になっていて、Part Oneはジョナサンが個人的な思想を持ってそれに情熱を傾ける物語として面白く読めるのですが、その飛行法が常識から外れ、ジョナサンの主観が一般化していくところに宗教的なものを感じたようでした。

確かに、客観的視点がないのですよね。ちょっと変わった物語でした。

 

で、次の読書会が『悪童日記』でした。

これは、戦争が起こって、大きい町から逃れて、田舎のおばあちゃんに預けられた双子の少年たちの物語。この子たちは自ら鍛錬と学習をする賢い子どもたち。ひとつの学習としてそれぞれ2人が違う主題で「作文する」することになっており、この作文を清書した〈大きな帳面〉によってこの小説は成り立っているという設定です。

「ぼくらの学習」という章にこの作文のルールが書かれています。「持ち時間は二時間で、用紙は二枚使える。」「『不可』ならそのその作文は火に投じ、次回の演習でふたたび同じ主題に挑戦する。」

双子の一方が作文をもう一方が判定しますが、その基準は「作文の内容は真実でなければならない」ということ。「ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。」

「たとえば、『おばあちゃんは魔女に似ている』と書くことは禁じられている。しかし、『おばあちゃんは"魔女”と呼ばれている』と書くことは許されている。」

つまり、主観的表現ができる限り削られているのですが、だからこそ見えてくるものもあります。

印象的だったのは、80代男性の参加者の感想。ヨーロッパの人々がこうやって厳しい環境の中で自我を形成してきたのだと実感した。自分の甘さがわかった、と。

戦争も見てきたであろう人にそう言われると、戦争を知らない私たちとしてはどう思ったら良いのでしょうねぇ…。

今回は写真ではなく、読書会のスケッチです。

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