物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

「限りなく透明に近いブルー」もう少し

読書会が未消化だったので、もう少し「限りなく透明に近いブルー」について考えてみたいと思います。

まず、個人的な最初の出会いについてですけれど、だいぶ昔に少しさかのぼります…

小学校5年生の終わり頃、私は初めて区立図書館に知りました。同級生とそのお母さんに連れて行ってもらったのです。夢のようでした。

亀有駅の近くにかつてあった中川図書館というところ)

子どもの本の部屋の手前に広がる大人の本の面積に興奮しました。こんなに多くの本があるんだなと、未来が広がっていくような気がしました。

中学生の頃は、図書館では報道写真集や画集をその場で読むことが多くなりました。部活などあって、借りる余裕がなかったのかもしれません。小説は安部公房にはまって、文庫で買って読んでました。でも、それくらい。私はもともとあまり文学的じゃないのでしょう。

高校生になって図書館の書棚の間を歩き回っているとき、佐々木マキのイラストに惹かれて村上春樹の新刊「1973年のピンボール」を手にとりました。新しさ、読みやすさに驚きました。一作目の「風の歌を聴け」も続けて読んで、やっぱり同時代の小説って違うんだなぁとショックを受けました。

次に手にとったのが村上龍の「限りなく透明に近いブルー」です。同じ「む」の棚のすぐ隣にあったからです。

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そのときに持った本の感触、今の図書館にはない有機的匂いなど、今、これを書いているとありありと思い出します。16歳の私は、この本のタイトルだけは知っていて(余程話題になっていたのでしょうね)、リリーの横顔の表紙が気に入って読むことにしました。

その図書館にはその後行かなくなってしまいます。高校一年の途中で引っ越しをして、その家の近くに新しい図書館ができたから。あの頃は図書館も次々できました。

でも、中川図書館の素朴な感じはなくなっていた。利用者が一方的に受益するというのではなくてみんなで図書館を大事にする雰囲気、文化的な匂い、ちょうどそういうのがなくなっていく時代だったのか…。

とにかく私は、まだ引っ越しをする前の、幼い日を過ごした狭いボロ家に帰って、早速「限りなく透明に近いブルー」を開きました。沼を埋め立てた空き地に面した窓辺で、寝ころんでいたと思います。

数ページ読んで、なんてことだと思いました。というか、たぶん自分を守っていた古い皮膚が破けちゃったのでしょう。なにしろ真面目で奥手な子どもでしたので。

全部読むのはすごく大変でした。でも、読み終えたときには世界ががらりと変わっていて、自分もすっかり変わっていました。自分はどこにいるんだろうと思いました。

制服なんか着て、靴下も三つ折りにして、がんじがらめの規則に縛られた中学時代は、結局、そういうものに守られていたのですよね。きっと固い蛹の中でのんびり眠っていたのでしょう。成長もストップしていたに違いありません。

成長を余儀なく促されます。よく考えればリュウが見る黒い鳥も見えていたし、あの夜明けのブルーも知っていたし、本当はもうあれこれ見えていたのですよ。周囲では色々なことがあったし。それに気づきました。

その頃通っていた都立高校は、当時は私服でした。どうしてかというと、村上龍の世代の先輩たちが主張し勝ち取ったからです。当時の都立高校の受験は群制度で、受かってから制服か私服かどちらの高校に回されるかわかりませんでした。私服の学校に回されるとがっかりしたものでした。

クラスでは親睦を目的に飲み会が企画され、そこでは真面目な議論もなされていました。まだ、過去の匂いをかろうじて吸うことができました。自由というのは責任と表裏一体で、個人で背負うのはとても重かったので、議論が必要ということもよくわかりまでした。でも、それを“怖”いという気持ちも多くの人が思っていたんじゃないかな。

時代もそのように動き、私が高校三年のときには群制度は廃止、私服の学校は打撃を受けます。それどころか貧乏地区は見捨てられます。それは制度廃止のせいではなくて、自由と責任を背負うことをみんなが怖いと思う、未成熟さによるのでしょうね。

 限りなく透明に近いブルー」にはその日本人の未成熟さがショッキングに描かれているように思います。