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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

詩「まえのひ」をメンバーで語る

お知らせ

メンバーの主婦手作りの読書案内「ピッピのくつした」の編集も大づめです。というか、メンバーとはなかなか会えないので、分担して主に個人差作業になっています。

次回の読書会(11日金曜、アンデルセン雪の女王」と綿矢りさ「亜美ちゃんは美人」)の間に編集会議をします。

 

私の担当のひとつは、川上未映子さんの詩「まえのひ」の座談会です。

 

―― 小説ではなく詩の読書会というのは初めてでしたよね。担当した方に、詩の内容をできれば簡単に教えてもらいたいのですが。

H 難しいので、川上氏の詩の解説を参考に説明してみますね。まず、詩の語り手は、もうすぐ死んでしまうであろうおばあちゃんと一緒にいます。おばあちゃんの肌を見つめているうちに視点がミクロになって、土地のように見えてくる。語り手はその土地に降り立つんです。そこは瓦礫だらけ、あちこち掘り起こした跡があって、携帯電話が鳴っていて、さっきまで誰かがいた気配もある。つまり、この詩は、おばあちゃんの身体と被災地、その両方に「前の日」が存在していると言って、二つを繋げているんです。その前の日から逃れるために語り手は行動をするんですが、「それはどのへんまで伝わるのでしょうね?」と川上氏は言っています。

Y そうですねぇ。普段、詩を読み慣れていないので、すごく難しく感じられましたよ。小説は全部説明されるじゃないですか、でも、詩は説明されていないから。

W 詩をあらかじめ読んでいた人もいるのですが、読書会で初めて朗読を聞いた人もいましたからね。詩は声に出してどう読むかで、かなり意味が違ってくるのだと思いました。実は、読書会だけではわかりにくかったので、続きの読書会もあったのですが、そのときの朗読はまた全然違っていて、違った意味にとれてびっくりしました。

―― 読み方で意味が違ってとれてしまうということですか。どう違ったのですか?

W 最初は震災ということをそんなに意識せず、もっと日常のこととして読みました。詩に何度も出てくる“崖”も、自分の生活に普通にあるものだと考えました。でも、二回目の朗読を聞いて、“崖”というのはもっとずっと“死”に近いものだと気がつきました。

T 私は最近、“崖”から突き落とされる出来事があって、それと重ねて読みました。死とつながるようなことではありませんが、強い衝撃だった。でも、今まで何度も“崖”を飛んだ経験があったから受け身ができたのだと思います。経験が大事なんですよ。

―― 詩の語り手は、“崖”を恐れているけれど、わざと飛ぶんですよね。

H 読書会では壁を乗り越えるとか、山を登るみたいなことは受験とか就職を考えて想像がつくのだけれど、“崖”というのはなかなかピンとこなかったんですよね。

T 受験や就職などと考えると、“壁”や“山”は目の前に見えていること、乗り越える方法も想定できます。そう考えると、“崖”は落ちる先が見えないもの、落ちるには勇気のいることではないかな。それでも、崖に落ちることを意識して落ちた場合には、きちんと自分の足で立つことができるのではないかな。

N 読書会では、それなら “崖”には落ちたほうがいいのか、という話にもなりました。でも、崖を意識しないで知らずに落っこちてしまった場合は、どこまで落ちるかわかりません。それは何より恐ろしいことですね。震災では、今まで隣で生きていた人が突然津波でさらわれちゃうわけですよね。それを間近で見ていたら怖いし、腹立たしいし、その悔しい気持ちはいつまでも残るのではないかな。

H この詩で、語り手が前の日にこだわるのは、悲しみを少しでも回避できる何か隠されているのかもしれないという気持ちもあると思うんです。「あと5センチ、あと3分だけつづければ…」という言葉。

M でも、それを経験していない作者がどうしてわざわざそういう辛いことに目を向けるんでしょうね。わざわざ見たくないですけどね。それに、もともと震災の前から本当は死の恐怖もあったし、前の日もあったんですよね。

―― 昔は東京も、特に下町は震災と空襲で二回焼け野原になった記憶が残っていたから、住んでいる人々には“前の日”という意識が当たり前のようにあった気がしますよ。でも、住民が変わったからなのか、そういう気持ちがなくなった。

M この詩ではたぶん、突然の災害による死というのが“崖”で、自然な死は“森”なんですよね。森も崖も大きくなったり、小さくなったり、少しずつ変化しますけれど。

―― 突然に襲われる災害と、少しずつ歳をとって死に向かう違いということ?

C ただ、森は深くて豊かな感じがして、そんなに怖くないんですよ。自分の世界というか、場合によっては秘密の世界かもしれないし、あるいは自分の価値観かもしれません。裁ちばさみで切っても、伸びていくおばあちゃんの髪のように。

Y 歳をとって「生きている、と死んでいる、のあいだ」におばあちゃんはいる。いずれすべての人が死んでいくのだと思うと、おばあちゃんの死はずっと穏やかですよね。

M 子どもの頃に高齢の祖父母が亡くなるのは、そんなに悲しいと感じなかった。

―― 最近、義母が亡くなりましたが、もう他人事じゃないという気がしましたよ。

M 自分も歳をとってきているし、親が若い頃も知っているしね。今は、みんな目の前のことだけ見ていて、それで精一杯な気がします。だとすると、やっぱりこの詩を書いた川上さんのように長期的視野が持てる人を育てていかないといけないんでしょうね。

―― なるほど。見ないことで本当に安心できればいいけれど、知らないうちにどんどん不安がつのっているのかもしれませんからね。知らずに“崖”に落ちる前に、何をすればいいのか? こういった作品で考えさせてもらうことは有難いですね。