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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

難聴、緊張、浄化

手帳に何でも書きとめておくという癖が私にはあります。その手帳を見返していたら、最初に微妙な耳鳴りに気づいたのは、7月30日の夜だったことがわかりました。ということは、耳鼻科を受診したのは27日後ということになる…。

海外では違う言われ方をしているようだけれども、日本では、突発性難聴は早く治療しないと治らないとほとんど脅迫的な情報がでまっています。それが本当だとすると、やばいってことかな?

いや、でも、耳鼻科に最初に行ったときには1ヶ月近く前から耳鳴りがしているってちゃんと言ったと思うんですよ。「へ~、よく気がついたね。1ヶ月くらいで気づくとだいたい治るんじゃないかな」と言われましたから。で、実際に3日後には聴力は正常値にいったん戻ったのですよ。

ただ、症状は耳鼻科に行く前も、行った後も安定していなくて、何かがザワザワビリビリうごめいているという感じがする。流動的というか、実は、生き物に寄生されているような不気味さなんです。特に、今月に入って激しく動いている感じ。

(あ、でも、私は何ごとも過敏に感じてしまうタチなので、いつも自分で自分に「はいはい、ただの幻覚、幻覚」と言い聞かせます。)

で、やっぱり耳はまた悪化。私たちのグループで、以前「蛇街病原体」という演劇公演をしたことがあるのだけれど、その蛇が暴れる図が思い浮かびました。そうそう、ミズタマさんのデザインの蛇でした。こんなの。

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蛇街は、人間関係の中に現実にある悪意が当時の私のものすごいストレスになっていて、それを目に見える芝居にしたものでした。そうやって見えないものを顕わに表現していくことには、浄化する作用があるのではないかといつも思うんですよ。

なんだか、今もどこかにそういう浄化すべきものがあるのかもしれないなと思えて、少し緊張してしまいます。どうだろう、大丈夫かな?

そんなふうに思っていると、耳鼻科のおじいちゃん先生も「なにしろ、外からは見えないものだから、難しいよね~」と意味ありげに笑ったりします。…かなり怖いんですけど、その顔。

耳鳴りは一番ひどいときに比べて、今はどうなのいと言うと……うーん、自分ではよくわかりません。だいたい、いつが一番ひどかったのだろう? それもわからない。

過去の記憶、今の自分の主観も、どうしてこう曖昧なのでしょうねぇと呆れます。耳鼻科でしてもらう聴力検査だけが唯一客観性を持った判断材料です。グラブを見れば一目瞭然。「なるほど、なるほど」と思いますから。

ところで、昨日は義父が大学病院の脳神経内科に行くのにつき合いました。そのとき、これは明らかに耳鳴りが大音量になっているなと自覚しました。耳が圧迫され、詰まっている感じ。エレベーターに乗っているみたいな気がしてくる。

私は、実は病院がすごく苦手ということもあって、知らず知らずに緊張していたのかもしれません。

(苦手だから、耳鼻科にもなかなか行かなかったんだよね…)

で、気がついたら、会話がぜんぜん聞きとれないのです。お医者さんに、聞こえるほうの耳がどんどん近づいていって妙なポーズになっています。え、聞こえない…。

義父に「もしかして、ストレスで耳の調子が悪くなってない?」と心配されているその声も、なんだかくぐもってよく聞こえない。左右のバランスが狂って、廊下を歩いていても、猫がヒゲを切られたような変な感じでした。

最悪だったのが義父を家に送って行ったとき。目の前の道路工事の音が頭に響き、肝心な音は聞こえないのに、機械音が耳の中で炸裂するのです。耐えられず耳栓をしました。最近、こういうときのために耳栓を持ち歩いていますよ。

 そうして夕方、家までの帰り道、ひとりでのんびり秋の虫が鳴く真ん中を歩いていたら、その声が耳に心地よくてびっくりしました。緊張が解けるというか、虫の声で耳を洗われているような快感すらある。

私の耳は何に緊張しているのだろう? 何を浄化したがっているのだろう?