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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

昔の友だちと公民館について話す

50歳というキリの良い年頃のせいか、最近、昔の友人とよく連絡を取り合います。今日は、大学時代の友人が、教え子のメディア関係の研究に協力して欲しいというので、サークル仲間にお願いすることにしました。

場所は、なんと、公民館の団体活動コーナーです。

友人とは何年ぶりに会ったのか、どちらも思い出せず、印象としては10年は会っていないだろうという気がしていたのですが、ふとしたことからその年数が判明しました。

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「前に会ったとき、自殺者を目撃したと言ってたよね?」と友人がショッキングな出来事を思い出してくれたからです。そうそう、いまだに怖くて、その道を通れないのですよ、私は。

でも、それで何年のことかわかりました。出たばかりの村上春樹のベストセラー『1Q84』を途中まで読んで、それを持って歩いていましたから。

ということは、2009年のことです。なんだ、5年ぶりか。

でも、5年は、お互いにひどく昔のことのようでした。まあ、私にも色々なことがあったけれど、友人にも色々なことがあったのだろうなと想像がつきました。そういうことって、話さなくても、わかるものですね。

「まったく、突発性難聴にもなっちゃうしね」

「やっぱりストレス? 知人が突発性難聴になったけれど、ストレスみたいだったね」

「どんなストレス? その人は治ったの?」

…殺人事件の第一発見者になってしまったのだとか。…難聴は治っていないそうです。なんだか、すごい話を聞いてしまいましたよ。

さて、場所が公民館だったせいなのか、友人とは、「公民館」と「社会教育」についての話て盛り上がってしまいました。友人も、私と同じく、公民館とは馴染みの少ない東京23区出身、都立高校出身なのですけれどもね。

歴史的なこととか、海外事情とか、自治の大切さとかかなり込み入った話になったのですが、なぜか、適切な質問を挟んで深く理解してもらっている気がしました。こんな話になんで興味を持ってくれるのかまったくわかりませんでした。ホントに目から鱗でした。

だって、こういうこと、私の周囲では、いや、一緒に活動する仲間ともなかなか共有できません。社会教育のことをわかってもらうのは至難の技。とても難しいのです。どうしてなんでしょうね。

今日、仲間のひとりは、学校教育の弊害だと分析していたけれど、本当のところ、どうなのでしょうね。学校教育って、そんなに地域差があるのでしょうか?

でも、よく考えたら、私もかつて「公民館」と「社会教育」の話はとても理解しやすかったんです。そういう下地となる、自分の問題を解決する能力をつけるような教育を、確かに地域や学校教育の中で、すでに受けていたような気はするんですよね…。

それは特殊なことなのか?  どうも納得がいきません。