物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

大いなる沈黙へ 読書会についてもちょっと

片耳が難聴ということでしばらく映画を観ていなかったので、12日、久し振りに近くの映画館に行ってみました。何を観ようか迷ったのですが、子ども時代からの友人とメンバーのKさんが観たと言ってた『大いなる沈黙へ』にしました。

フランスのアルプスの山の中にあるグランド・シャルトルーズ修道院に滞在を許されたフィリップ・グレーニング監督が、半年に渡って修道士たちの生活を撮影した記録です。ナレーションも音楽も効果音も入れずに、ありのままに撮ったものだそうです。

淡々としたドキュメンタリーで2時間49分ありますが、映画館がほぼ満席だったのに驚きました。台風前の休日だからというのもあるのでしょうが、こういう地味な作品がこんなに人気だなんて。

映像は、とてもきれいでした。修道士の顔、体の動き、斜面にたった建物、石の階段、木の床、薪ストーブ、妙な懐かしさを覚えるほどです。雨の波紋、洗った盥の水滴、群がる猫、窓辺の蜘蛛、修道士が刻むセロリといったものがひとつひとつとて現実味を持って感じられました。仏教のお寺とも共通するところがあるんだなぁと思いました。病気や老いや死について考えることも。

それより何より、世俗のしがらみから離れるということが人間にとっていかに重要かということなど考えさせられました。

実は、子どもの受験のことも考えて…というかどんなものかと興味もあって、前日の11日に高校見学に行ってみたのです。私たちの高校時代のゆったり感とはまったく違っていて、小テストとか自習活動とか週末課題(宿題)とか、細かなことに追われる日々なんだなと思いました。結局、大学の進路実績を上げる競争の仕方の話ばかりでうんざりしてしまいました。世間に他人と競った順位を誇るのは、中身がなくてもできること。世間が何と言おうと、自分が何を求めて何を見つけるかだと思うのですけれども。

「受験のことなんかまだ考えないよ」と一緒に行かなかった子どもに、帰宅した私は、学校の勉強なんてゲームなんだからほどほどにやればいいよと話していました。「そうだね」と子どもは喜んで、お友だちとカラオケなど行ってしまいましたが。う~ん、私は何のために説明会に行ったのでしょうね?

10日の読書会でも、午前中は兄弟構成と競争心の話になりました。競争してもよいのだけれど、それだけだと自分を見失ってしまいますよね。

午後の読書会はネイサン・イングランダーの短編『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』だったので、ユダヤ教の話から、信仰や愛についての話になりました。もっと語り合いたかったことがあり、ちょっと欲求不満が残りました。

あ、それで『大いなる沈黙へ』を観たくなったのかもしれません。