物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

「物語る私たち」と「三多摩社会教育つうしん」

最近出張ばかり続いている夫。一週間ぶりに帰ってきて、いきなり朝(というか昼)起き出して一緒に映画に行こうと言われて、さて何を見ようか考えました。我が家では、だいたいいつもそうです。

美女と野獣」の物語はふたりとも好きなので(モンスターという言葉にふたりとも反応しやすい)ネットで検索してみたのですが、メジャーものに気が乗らず、マイナーなのを見ようということに意見が一致。

ここが大事なところで、つまらない映画を見ると、だいたいにおいて一緒に見に行った人のせいにしたくなるというのは、大昔、若い頃のデートの頃からの法則です。たいてい最初のデートで見た映画がつまらないせいで別れていませんか?

…と思い出してみると、夫とつきあい始めた頃に見た映画は自主上映アニメの「少女椿」でした。「ガロ」でデヴューした丸尾末広の漫画を忠実にアニメ化したものでした。

そのことを中学生の息子に話したら、予想外に驚かれました。「なんだそれ、彼女にそんなの見せられたらマジひくよ。そんな、目玉を舐めるようなのが好きなのか?」と。あ、原作漫画を読んだな、と思いました。

まあ、読みますね、2冊ずつあるんだから。夫と私が持っていた本で同じものって法則なく何冊かありましたけれど、丸尾末広の漫画だけは全巻一致してしまいました。

ここまでは、どうでもいい話。

で、「物語る私たち」というカナダ映画を見ることにしました。

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窓口でチケット買おうとしたら、「まだ早いかもしれませんが、どちらが50歳以上だったら1000円で見られますよ」と。え~、知らなかった。

「離婚防止かな?」と夫。「夫婦で介護し合おうってことじゃないの?」と私。

時間が早かったのでちょっと散歩して、お茶飲んで、時計を忘れたので「何時?」と夫に聞くと、夫も忘れていて、万歩計を出すんです。「えっ、16000歩?」そんなに歩いたか?「ああ、だいたい1日20000歩くらい歩いてるよ」え~、知らなかった。

ここまでも、どうでもいい話。

「物語る私たち」は、サラ・ポーリー監督が、自分の出生にまつわる、非常に重い物語を家族や知人に語らせていくというドキュメンタリー。

いやぁ、すごいなぁと思いました。すごい表現者魂。サラだけでなく、家族もそういう意識がある。というか、登場人物たちがそれぞれの視点で語ることで戦っているようにも見えました。

もちろん、それぞれの人物の語る話には矛盾もあるのだけれど、そのへんも含めて、物語というものについて考える内容にもなっている。

マーガレット・アトウッドの「自分が物語の渦中にあるときには、どう見ても物語の体をなしなく、ただの混乱。少しでも物語と呼べるようになるのは、後のこと。自分に、あるいは誰かに語っているときに」という言葉で始まっていました。

グザヴィエ・ドラン監督の映画を続けて見た後というのもあるのだけれど、カナダってレベルが高いんだなぁ。

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そうそう、帰宅したら「三多摩社会教育つうしん」が届いていました。夏の社会教育研究全国集会の分科会の感想を書いたんです。

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