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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

読み聞かせと詩

読み聞かせ

3年ぶりくらいに風邪をひいてしまったようです。最近、風邪気味にはなっても発病しないままのことが多かったのですが、だいぶ鼻と喉にきている感じなので、これは明日はお休みしたほうがいいかな。何もない土曜で良かった。

娘にオレンジジュースを買ってきてと頼んで、中学生の息子と一緒にラジオを聞いていたら、カルチャーラジオの「中高年のための脳トレーニング」という番組をやっていて、つい2人で聞き入ってしまいました。ちょうど子どもの脳の発達の話だったんです。

実は、我が家ではテレビを見ないのですが、ラジオはわりとよく聞きます。意外に知りたい情報を得ることが多いのですよ。その番組では、読み聞かせと運動がかなり子どもの知能を高めるという話があって、読み聞かせについては、へ~と思いました。

だって、なぜだか、そういうことってあまり言われないじゃないですか。運動よりも言われない気がします。どうしてなのかなぁと、いつも思うんですよ。現実の生活で、読み聞かせが学力向上に効果があることは当たり前に感じるのでね。それも、科学絵本ではなくて、物語ですよ。聞いている子どもの脳がものすごく活性化するらしいんです。ラジオの話だと、小さいほど効果が高いみたい。

「やっぱりね。あなたがもし賢かったら、お母さんが読み聞かせしたおかげだね」と言いました。息子も「確かに、小さい頃の読み聞かせってめちゃめちゃ楽しいんだよなぁ。小さい子どもの空想力ってすごいもんね」と。実は、私も幼い頃に、父親にいつも本を読んだりお話してもらっていたんです。楽しくて、もっともっととねだったものでした。

小学校の読み聞かせボランティアをやっていたときには、授業時間を1時間もらえることも多くて、食事のフルコースをイメージして、色々な部分を刺激するような本を選んで、読む順番も試行錯誤したものでした。クラスのボランティアの方々がみんな熱心だってので、こういうことを考えるのも楽しかった~。

「クラスの子たちもみんな、読み聞かせが好きだったよね」「そうだったね」いつもかぶりつきで聞きたがる子などはすぐ目の前にいて、こちらを真剣な表情で見上げていましたっけ。子どもたちも楽しんでくれたけれど、私もすごく楽しかったんですよね。子どもたちのおかげて今日は勉強させてもらったなぁ~といつもしみじみ思いながら帰ったものでしたっけ。

実はね、読むのもすごく楽しいんですよ。つまり、物語がよくわかるんです。その物語に対する反応もかえってきますからね。その物語のネガの部分だけでなくてポジも体感できるんです。

そういうことが体感できると、声色を変えたり、積極的に語るのはむしろ逆効果なんだなぁというのもわかってきます。がんばらない、抑えたほうが伝わる場合がある。絵本の場合は絵と一体になったもの(特に作家が絵も文も担当しているものなど)もありますが、絵が邪魔になる場合もあって、絵を見せないで朗読したこともありました。

面白いのは、想像力がかきたてられるからなんですよね。たぶん、脳はものすごく活性化していて、それが心地よいんだと思います。はい、私自身は心地良いです。運動しているのにも近いのじゃないでしょうかね。

このラジオ番組、他にも面白いところがたくさんあったのですが、ここで紹介するのは、これくらいにしておきます。興味がある人は再放送が来週の午前中にあるみたいですから、調べて聞いてみて下さい。

ところで、風邪をひいて頭も重いというのに、今日は義父の通院につき合ったんです。もちろんマスクをしていきましたけれど。私が詩を書いていると知っているので、詩の話などをふられたりして、あれこれ文学の話をしました。

でも、人と話をしていると、自分の勉強不足を感じてしまって、小説はまだ良いにしても詩について知らなすぎるということ、思い知らされます。それこそ、小学生相手に読み聞かせをしているときに、そのフルコースにはできるだけ詩をひとつ入れようと心がけていたので、小学生に面白い詩はないかと、あれこれ読んだのが詩に触れた最初かもしれません。

それで、真面目にちょこちょこ詩も読むようにしているんですけどね。ちょっとだけだけど。講談社の文芸文庫に「石原吉郎詩文集」というのがあったので、ちょうど読み始めたところです。

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石原吉郎さんというのは名前を知っていると思って。確か、文学館で毎年やっていて今年最後になっちゃった荒川洋治さんの講座(たぶん私は4回くらい参加しています。人気講座なので、4回当たったということです)で聞いたのだと思います。

で、最初からびっくりしました。「詩の定義」という文章があった。初心者に「詩とは何か」と質問されることがあるけれど、どう答えるかという話です。「詩は、『書くまい』とする衝動」だと言うのです。

詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであると言っていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみどまろうとする意志が、詩の全体を支えるのである。

うわぁ、とびっくり。よくわからないけれど、わかるような気がするし、すごいなぁと思いました。この人は戦争に行って、長いソ連抑留の経験があるかたです。「耳鳴りのうた」という詩がありましたが、ものすごい迫力でした。

…疲れた。ちょっと息切れ。今夜はオレンジジュースを飲んで寝ます。