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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

軽いお姫さま

芥川賞を受賞した小野正嗣さんの「九年前の祈り」を読んでみました。

小説を読むと、つい自分の身近なあれこれと重ねて考えてしまう癖があるのですが、まさにそういう感じがありました。重いのか軽いのか判断のつかない怖さのような。


重さと軽さといえば、昨日は、イギリスの絶頂期であったヴィクトリア時代に書かれたジョージ・マクドナルドの創作童話「軽いお姫さま」を読みました。

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王さまが娘の洗礼のお祝いの招待状を実のお姉さんに出すのを忘れてしまったことから、呪いがかけられ、お姫様は〈重さ〉を失ってしまうんです。体の重さがないのでちょっとした空気の流れにも乗ってしまうし、突風が吹いたら大変なことに。

でも、本当に問題なのは、心の重さを持たないことでした。人の心がわからないため、悲惨なことが起こってもケラケラけたたましい声で笑ってしまうんです。その声は人を不安にさせますし、母のお妃さまを泣かせることにもなってしまう。

「まあ、お母さまったら、なんておかしな顔! それに、ほっぺからお水が出るのね! 面白いお母さま!」

王さまがお姫さまを怒鳴りつけると、ぐるぐる躍って手を叩きます。

「もう一度やって、お父さま、もう一度やって! とっても面白いわ! おかしなお父さま、大好き!」

重さがないお姫さまは人を思いやることができないので、冷たく残酷です。重さがないので、大笑いはしても微笑むということはできないのです。一方は笑い転げていても、一方は泣いたり怒ったりしている…。

この親子でコミュニケーションのできない感じは、「九年前の祈り」の30代の母親と小さな息子の関係に似ているなぁと思いました。それだけじゃなく、主人公と両親の関係にもすでにある一種の軽さ。

「軽いお姫さま」はお話がどんどん展開して面白いです。お姫さまは重さをとりもどすハッピーエンドですが、重力のある体で歩くことは思ったよりずっと大変。軽い方が良かったとお姫さまは思います。でも、王子さまが一生懸命歩くことを教えるんです。

この物語の意味するところは、甘やかされてわがままに育った女性が、恋をして人間らしい心を回復するということなのでしょうか。恋愛するには自我が必要だと思うけれど、どちらかが持っていれば、相手を引き上げることができる?

つまり、コミュニケーションは回復するのか? もちろん、重さのある体で歩くのはなかなか大変で、歩けるようになるまで長いことかかるのですけれども。


なんだかもやもやしてきて、ミラン・クンデラ著『存在の耐えられない軽さ』も再読してみたくなりました。

「ほんとうに重さは恐ろしく、軽さはすばらしいことなのか?」