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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

エトガル・ケレット『突然ノックの音が』

昨日はイスラエルの作家エトガル・ケレット氏の『突然ノックの音が』刊行記念のイベントがあり、早稲田大学まで行ってきました。

副都心線西早稲田に出て、昔住んでいた路地を抜けていきました。昔は西早稲田なんて駅はなかったし、周囲はだいぶ変わっているのに、建物はまったく変わらずそのまんまでした。昔の部屋に帰れそうな怖さがあったな。よく夫と行った銭湯も残っていました。

20年以上前ですね。銭湯の帰りに神田川を散歩したりもしましたっけ。ただ、あの例の古い歌のイメージとはぜんぜん違って、記憶に鮮明なのはキラキラした外灯の下、巨大なヤママユガの大群の中に入ってしまった情景なんですけれどもね。天然脳内麻薬が放出してトランス状態でした。

まあ、そんな話はどうでもよく。
エトガル・ケレット氏は、去年の東京国際文芸フェスティバルで注目していた作家だったので、イベントは、私には刺激的内容でした。第一部「イスラエル作家として書くこと」第二部「僕たちの書き方」ということで、短編映画の上演や作品の朗読もありました。

イスラエルでは男性には3年、女性にも2年の兵役があるらしいのですが、ケレット氏が最初に小説を書いたのはその兵役についていた時期らしいのです。そのときの苦しい状況について、またそのとき書いた小説の英語朗読を聞いて、ケレット氏がどうして小説を書こうと思ったかが少し理解できました。切っ掛けというのは、やはりあるものなんですね。

ヘブライ語での朗読もありました。

「(小説を)書くことは国をつくること」というのが、イスラエルの事情に無知の私には意味がわからなかったのですが、二千年もの間書き言葉のみとして氷に閉じ込められた言語を電子レンジでチンされてもそのままは使えないというたとえに納得。現代の言葉として生き返らせるために、外国語を採り入れたり、新しくつくったりしないといけないということなんです。その新しい口語体で書いた小説は、本当に新しい表現で国をつくることなのでしょうね。

日本語を使うのがあたりまえの日本人からすると、なかなか想像できない話でした。でも、本当は日本語で表現することも同じなんですよね…。

小説の創作についての参考になる話もたくさんあったのですが、一番心に残ったのは、平和のために祈る会への参加依頼を断ったという話。祈った瞬間にすべてを神に任せて責任を放棄することになってしまうと。家族の健康を祈ってもいいかもしれないけれど、平和な社会にするのは人間の責任だと。フライドエッグが食べたかったら、祈るのではなくて自分で料理する。それと一緒だよと言っていたことです。

帰りはあまりにお腹が空いて、ファーストフード店へ。ハンバーガーを食べながら、ここは20年前にも入ったことがあったなと思い出しました。意外と世の中は変わっていないのでしょうかね。