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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

広島に行ってきました。

旅行

子育てをしていると、ひとりで出かける機会ってないのですよね。家を離れて4泊もしたのはなんと20年ぶり。旅の行き先には、ちょっと遠いけど広島を選びました。いつか行かなければと思いつつ、半世紀も行かずにいましたから。

東京生まれの私には関西はわりと異国なんですが、あれ、なぜか広島の空気は肌に合っていたような。

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初めての広島につきまして、夜行バスを降りてみたら広島駅ではなくてバスセンターでした。歩いてすぐのところに原爆ドームがありました。ちょうど工事中でした。

ちょっと戻ったところに爆心地がありました。この上空で爆発したのですね。今は普通の病院になっています。

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広島平和記念資料館と原爆死没者追悼平和祈念館にも行ってみました。平和資料館も工事中で、展示内容はこれからもっとソフトになるというような話を聞き、少し不安になりました。できるだけ正確に、後世に伝えてほしいです。

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それから、爆心地から350メートルという近さにあったという本川小学校平和資料館に行ってみました。正門横の事務室に声をかけて、入れてもらいました。小学校の片隅にあり、訪れる人は多くはなさそうでした。

実際に被曝した建物なので、なんというか展示の内容以上に伝わってくるものがあります。当時、3年生以上の児童は疎開しており、低学年の子どもたち400人と先生方の命はその一瞬に奪われたのではないか、と。

学校から出てきたガラスびん、瓦、缶詰などがほとんど原型をとどめていないことに、その場がどんな状態だったかとても想像できません。

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もうひとつ500メートル圏内にあった袋町小学校平和資料館、旧庁舎資料展示室、旧日本銀行広島支店にも行ってみました。銀行では若いアーティストの美術展をやっていました。

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資料は、別の場所で展示されていた機会に、または書物や映像で知っているものが多かったけれど、やはりその場所に記憶は残っているのだなと感じました。そのために多くの人の努力とエネルギーがあったことも。

原爆と比べると規模や性質は違うかもしれませんが、東京大空襲についての記憶は東京のどこに残っているのだろうと思ってしまいました。