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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

読書会② 『侍女の物語』

読書会

昨日の午後の読書会はマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』をとりあげました。

これは最初に出た新潮社版。フレッド・マルセリーノによる美しい装画(高い塀の内側、赤いふわふわした服と白い羽根のような帽子をかぶった女性たちがお行儀よくしている)が、物語の構造を表しているような気がします。

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かなり制限された生活を送る語り手の女性に感情移入するといたたまれない気持ちになりますが、実はそういう女性ばかりではなく、お行儀よくすることをことごとく拒んで逃げようとする友人もいます。

そして、物語に登場する男性の立場も決して楽しそうではありません。男性達だって、監視されていることにはかわりがないのです。だから、男性たちが個人的な気持ちから女性たちにひどいことをしようとしているようには見えません。

そのシステムをつくることに関わっている司令官も、プライベートでは主人公に親切です。彼は主人公と対等に言葉を交わしたり、ボードゲームをすることを好みます。

実際に語り手の女性にひどいことをするのは、常に女性なのです。…自主的にしているのではなく、やらされているのだとしても。

では、どうしてこんなにひどい身分システムができてしまったのか? と言うより、エスカレートしていったのか? 誰がエスカレートさせたのか?

司令官も後に粛正されてしまったことが示唆されていますから、彼らであるとは考えにくい。…そういうところを考えるととても怖い小説ですね。

今回、男性の参加者がいたことでより公平な読み方ができたように思いました。女性視点のみで狭い読み方をしてしまうと高い塀に閉じ込められかねませんからね。そういうへ閉塞感って実はいつもなんとなくあるんですよ。

 

帰宅後、この小説について話していたら、夫と議論になってしまいました。主人公の男性への冷たさがよくわからない、と私は言い、夫は逆に主人公がニックに示した愛情は最大限のものだと擁護。でも、話しているうちに、お互いそんなに違わないことを言っているのだと気づきました。

アトウッドはハンナ・アーレントとは違うよね、という話になったのです。もしかしたら、それはフェミニストフェミニストではない人の違いなのかもしれません。でも、フェミニストの定義なんていいかげんですからね。ハンナ・アーレントフェミニストでないなら、私もフェミニストではないかも。男性とは恋愛したいですから、私は。