物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

読書会の起源

読書会の初体験は、18年ほど前に公民館で行われた参加者100人ほどの文学講座と、その講師に誘われて参加した有志の読書会だったと思います。

いや、待てよ…大学時代(貧乏で二部に通っていた一年生のときだけですが)に文学研究会で読書会と自作の合評会というのをやっていましたっけ。あの頃は一晩飲み明かして、なんてこともしょっちゅうでした。いや、待てよ…

むかしむかし、中学生の頃、クラスに関係なく有志を募って順番にそれぞれの家に集まって一緒にマンガを読んでいたことがありました。その集まりのことを、お茶会(お茶を飲むから)と呼んでいましたっけ。あれも、読書会でした。

昨日、その頃の友人たち3人で会いまして、新宿でお茶を飲みました。日々あちこち不調を感じては年をとったなぁと認識しますが、昔の友だちと会うとなぜか皆変わってないと実感するものです。あっという間に気分は女子中学生。それから、当時読んだマンガの話になりまして。

中学時代の記憶も、一緒に体験した人の話を聞いているとずるずると引きずり出されてくることにびっくり。記憶というのはこんなにも生のまま残っているものなのかなと思いました。が、待てよ。

あれっ、このメンバーって幼稚園も一緒じゃね? という話になりました。小学校は違うのですが、幼稚園は一緒だったのです。それじゃ、この集まりは幼稚園同窓会ですか?

幼稚園といえば、何枚かの絵を見せられてそれをつなげてお話をつくるというプログラムがあったよね、とひとりが言いました。お話をつくるより、それを人前でしゃべるのが難しかった、と。ああ、それは、わかる。

そもそも入園試験でもそんな問題が出たよね、と私。あ、覚えてる、サルが天井からぶら下がったバナナをとろうとしている絵、ともうひとり。他にも何が描かれていたかの映像が薄ぼんやりと見えてきます。

最後の問題。試験官は言いました。「このサルはバナナがほしいと思っているんだけれど、どうやったらとれるかなぁ?」と。それは当然、隅っこに置いてあるイスをバナナの下に持ってきて上にのぼってとればいいんじゃないか、と私は思いました。が、それを大人の男性にしゃべれなかったんです。

「ちょっと難しいかなぁ…」と、わざとらしく微笑んだ男性の顔が妙に印象的でした。なんだ、この不快感は、と思いました。甘やかされた子どもだった私が、生まれて初めて感じた屈辱だったのかもしれません。

更に、この話には続きがあるんです。その試験から帰ってきたたぶん翌日、洗濯物を母と一緒にたたんでいる(私はとても良い子でした)ときに「あの最後の問題、どうして答えなかったの?」と言われたのです。その母の顔に、彼と似た表情を見ました。この女…と私は母を他人と認識した瞬間でした。

今まで私は、分不相応なのに目の前にあったから(空き地を挟んで隣でした)通ったその月謝の高い幼稚園に、悪い印象しか持っていませんでした。受け持ちの先生は明らかに子どもの家の経済レベルで対応を変えていましたし、悪夢を見るほど嫌いでした。でも、もしかしたら、読書会の起源は案外とこのあたりにあるのかなと思えてきました。

言葉にしたいという気持ち。…ずっーと、しゃべるのが苦手でしたからね。根は理系だし。

18年前に参加した読書会も、私より上の世代の人たちが主流で、議論はいつも白熱していました。自分の自由な解釈を展開するために、そこにどうやってねじ込くか、ということが課題でしたからね。

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友人と別れて、そんなこんな考えながらぶらぶら原宿まで歩いて、代々木公園に出ました。若い男の子たちがスケボーをやってました。