物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

病院

50を過ぎて、病院に行く回数が激増しています。これまで病院恐怖で極端に避けていたのですけれども、そうも言っていられません。

今気になっているのは、少し改善されていた耳鳴り&難聴がこのところの飛行機の爆音のせいで悪化していること。機械音がダメなのかなぁ、車や電車の音も苦手です。先日の読書会のときはひどかったので、耳栓を持っていかなかったことを後悔しました。と言って、それで病院に行く気は今のところないんですけど…。

病院に行く回数が増えたことは、親たちの年齢によるところもあります。義母が亡くなってからは、義父の病院につき合うことが多くりました。昨日は、私の母の病院にも一緒に行くことになりました。

私の母はまだ70代前半ですが、昨日は身内に説明することがあると言たんです。慌てて駆けつけたのですけどね。それが、実家近くの柴又あたりの古い病院でして、このへんのコミュニティから離れて久しかったので、コミュニケーション法にかなり面食らいました。ソフトな言い方とか、遠回しな表現とかなくて、どこまでも直球なんです。そこまで言うかという…。

最初は驚いたけれど、だんだん懐かしさを感じまてきましてね。一緒にいた父も「病院てのは嫌なところだねぇ」と何度も繰り返していて(この人は病気にかかりにくいからなんだけど)、この病院の中ではこういう言い方が受容される文化が残されているんだなぁと思いました。

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帰りの電車で『ヒア・アンド・ナウ』というポール・オースターとJ.M.

クッツェーの往復書簡を読んでいたら、今はないけれど、かつては現代詩から生きる手がかりをつかもうとする若者が大勢いた、と言っている箇所がりました。

「なにかが起きたんだ、一〇七〇年代末か一九八〇年代初頭に、その結果、芸術はわれわれの内面生活における指導的役割を放棄した、僕にはそう思える。」

クッツェーが言う。これに対してオースターはこう言う。

「この喪失が芸術家たち自身のせいなのか、僕にはわからない。おそらく、特定の誰かのせいにするには、あまりに多くの要因がかかわっているのだろう。しかしひとつ確かなことがある。それは、あらゆる面で愚かしさが増大しているということだ。南北戦争で勝った兵士たちの手紙を読むと、その多くが、今日のおおかたの英文学教授の文章より洗練されていて明晰で、言葉のニュアンスに対する鋭い感受性が見られる。」

本当に…。