物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

祭りの場

今まで、私が最初に出会った現代文学は、高校入学頃に読んだ、村上春樹の『風の歌を聴け』と『1974年のピンボール』だと思っていました。または、中学生時代にはまって当時出版されていたものはほとんど読んだ安部公房の小説だとも言えます。中学生の私は、娯楽小説として本当に楽しく読んでいたのですけれど…。

でも、先日部屋を片付けていたら、震災のあった年に誰かにもらったままになっていた岩波ブックレット被曝を生きて』が出てきまして、何気なく手にとったのです。サブタイトルに「作品と生涯を語る」とあり、長崎で被曝した作家林京子さんへのインタビューになんだなぁと思って、ページを開きました。

それで、かなり幼い頃に、林さんの『祭りの場』を読んだことがあったのを思い出しました。確かに、読みました。でも、どんな内容だったか…?

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あれは確か、当時、銀座やら繁華街で飲み歩く癖のあった父が、もしかしたら著者か出版関係者かにもらったと言って、いつもの焼き鳥ではなく、真新しい本を手に帰ってきたのです。

でも、父は本を読みません。と言うより、我が家には本というものがまったくと言っていいほどなく、その場違いなものはすぐに戸棚に仕舞われました。当然のことながら、翌日、私はそれをとりだしてみたのです。

新しい紙とインクの匂いをくんくん嗅いで、表紙を手のひらでなでました。この色はまた地味だなぁと思ったことを覚えています。ページを開いて、私は興味津々で読み始めました。でも、まだ難しかったのでしょう。やはり、子どもには文学はわからないのですね。

昨日、1975年8月に出版されたこの本を図書館の書庫から出してもらって、ああ、やっぱりこの本にははっきり見覚えがあると思って、すぐに読んでみました。

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…これが、まったく記憶にないんです。不思議なものですね。

記憶にはないけれど、当時、私はこの本を読んだ少し後に、区立図書館にクラスメートのSさんのお母さんに連れて行ってもらって、定期的に通うようになります。そして、しばらく、報道写真集の部屋にこもり続けることになりました。原爆関連の写真集は丁寧に見たのではっきり記憶に残っています。

それは『祭りの場』を読んだせいだったのか?

今回この小説を読んでみて、衝撃的な内容であることにびっくりしました。あまりにリアルなのです。というか、広島に行ってきたばかりなので、それ以前に、体験が想像を越えるものだったのだろうと納得させられたのかもしれません。苦しくなりました。

岩波ブックレット被曝を生きて』に、一緒に活動していた仲間である中上健次氏に「原爆ファシスト」と批判されたという話が出てくるのですが、その見方もわからなくはないなと思いました。たとえば、先日の読書会でとりあげた『侍女の物語』はディストピア小説と言われていますが、読んでいてこんなに苦しくはなりませんからね。