物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

次号「ピッピのくつした」にビブリオバトルのことを載せます

書き忘れていましたが、5月2日に、ビブリオバトルの普及委員をされている宮本さん(20代前半の大学院生の女性)と、ロシアで日本語教師をされている杉嶋さん(私たちと同年代の男性)にインタビューをしました。技術的なことをうかがうというより、色々楽しく一緒にお話しさせていただきました。

(詳しくは、次号「ピッピのくつした巻頭に掲載しますので、お楽しみに!!)

それで、宮本さんが共通のコンテンツを持っているとコミュニケーションができるとおっしゃっていたのですが、まさにそんな感じ。どうしたわけか、話の馬が合う。

たとえば、海外に行ったときの話をすると、まったま違う場所なのに不思議に一致した経験をしていたり。

私は大昔にシルクロードを旅したとき、砂漠の人々の美的センスの豊かさにものすごくショックを受けたという話をしました。子どもの落書きすら素晴らしくて、民族の遺伝子が違うんだなと思い知らされたもので。

文学の話では、ロシアの作家ソローキンの話が出来て、ちょっと嬉しかった。そんな話に乗ってくれる人はいませんから。私は好きなんですが、ソローキンという作家はなかなか理解されにくい人なのかなぁと思っていましてね、それはどうしてなんだろうとぼんやり考えていて、美術系の人だからなのかなぁ…と。

ここのところ、そういう系統が気になっていて、たとえば、文系と理系というのも、世界の認識や考え方が違うなぁと思うんですよ。

うちの家族はみんな両方混ざったタイプ。でも、やや文系よりの2人はひも的な思考をする特徴があり(ひも理論と呼んでます)、やや理系よりの2人は全体を鳥瞰する傾向があります(呼称はない)。ちなみに、私はやや理系よりです。

でも、そう言ったら、子どもには「逆じゃね」と言われましたけれども、まあ端的に言って私にはそう見えるということですね。

で、今日はポール・オースターの『オラクル・ナイト』という小説を読んでいて、文系であり美術系の人はひもの先に目がくっついている(胃カメラみたいな印象です)のかもしれないなぁと思えてきました。そのひもの長さと視覚のシャープさが面白かったのです。