物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

PASSING ネラ・ラーセン 詩の朗読

昨日は母の整形外科の手術の立ち会いがあり、無事終わってホッとしました。

父と2人で何時間も談話室で待っているのがいたたまれなくて、マンガ「暗殺教室」最新刊(14巻です。更にパワーアップして、数学の問題など考えさせられました)と、ネラ・ラーセンの「白い黒人」(植野達郎訳  春風社)を読みました。

私は母に容姿も性格もまったく似ていませんが、母は昔はこの「白い黒人」の表紙のイラストに似たちょっとした美人だったなぁと思い出しつつ…

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ネラ・ラーセンという作家は1891年にシカゴでアフリカ系アメリカの父とデンマーク人の母の間に生まれたそうです。彼女は2つの作品しか発表していませんが、1929年に発表されたこの小説は文学史上なかなか意味のある作品のようです。

解説によると「一九二〇年代、アメリカではハーレム・ルネッサンスと呼ばれる黒人文化が隆盛を極め」ており、「『パッシング』の問題を女性の側から顕在化させた」ということのよう。

「『パッシング』とは、混血の黒人が白人社会で白人として振舞い白人として受け取られることをさす。『血の一滴の規則』により、わずか一滴でも黒人の血が含まれていれば黒人として括られるわけであり、『パッシング』は、外見上は白人としても通用する黒人にとって生存のための手段であった」とあります。

なんだか納得できるようでよくわからないパッシングの意味。日本人にはよくわからないんじゃないか、と逃げるのも間違っているような気もします。だって、結局、差別の構造は同じじゃないかな…。

『白い黒人』は、どちらも外見上は白人のように見える女性2人が、微妙に違う選択をしてそれぞれ別の世界を生きようとしていく。それで、お互いに惹かれ合いながらも、溝を深めていくという物語。パッシングのことはよくわからなくても、女性同士のその矛盾した感情はひしひし伝わってきました。

対照的な生き方をする2人の女性だと単純に分けて考えないところに、ラーセンという作家の考えの深さがあり、新しさがあるのかなと思いました。読んでいてちょっと興奮してしまいました。

2人が惹かれ合うところが同性愛的だと解説に書かれていたけれど、それもちょっと極端な解釈で、もっと普通の女性同士の関係にある微妙な好意とその裏にある憎しみが描かれているんじゃないかな。

 

それから、突然ですが、明日の晩に国立で行われる〈詩の朗読会〉で詩を3つ朗読することになりました。私はそういうの、経験がないので勉強してきます。