物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

ケレット「パイプ」 と 漱石「夢十夜」

29日金曜日の読書会は、イスラエルの作家エトガル・ケレットの「パイプ」(雑誌「早稲田文学」2014年冬号掲載)と夏目漱石夢十夜」をとりあげました。

読書会では、午前と午後の2作品が関連していることで読み解けることが多いのですが、今回はあまり関係しないかなぁと予想していました。ところが、意外や意外…

「パイプ」は、向いていない兵役に就いて暗い気持ちになっていた若者ケレットが、その思いを昇華しようと一晩で書き上げた短編だと聞いています。夜が開けて、プリントアウトした小説を持ってお兄さんを訪ねていったそうです。すぐに読んでくれたお兄さんは「感動した。お前が弟であることを誇りに思う」と。それが作家になったきっかけだと講演でご本人が語っていました。

…そんな背景を考えて読むと味をわい深い小説です。絶望した若者が、あちらの世界に行ってしまう話なのですが、それは小説の世界。いや、小説の世界だからこそ、国や時代を越えて読者という仲間つながることができるわけですよね。

二十歳前後というのは本当にどっちに転ぶかわからない年代。すぐにあちらの世界に足を踏み入れてしまいそうになります。かつての自分もそうだったし、前回紹介した〈不可思議/wonderboy〉のこともちょっと思い出しました。

一方、「夢十夜」はそう若くはない漱石が書いた短編。でも、。夢を小説にするというのは新しい実験的試みだったろうし、みずみずしい描写はにはあまり古さを感じません。

読書会で語り合っているうちにポイントが浮かび上がってきました。最初と最後に出てくる女性が、みなさん、気になったようなのです。

第一夜は、女が死んで百年後に、彼女の化身であるらしいユリの花が咲くという話です。百年待った主人公は「冷たい露の滴る、白い花瓣に接吻」するのです。第十夜は、庄太郎という男が、絶壁から飛び込むか豚になめられるかを選択する話です。

ユリの花はあまりに美しく、現実からかけ離れたイメージです。それに対しての豚はかなり滑稽。ステッキで豚を崖から落としていた庄太郎は、最後は豚になめられるのです。豚になめられるとはどういうことなのだろう?

そこまで話し合って、再び〈不可思議/wonderboy〉を思い出しました。彼のドキュメンタリー映画の中で谷川俊太郎氏が言っていたことで解けるような気がしたのです。

人の行為を、Death Avoiding Behavior (死回避行為)とLiving Behavior (生命的行為)に分けて説明した哲学者がいたらしいんです。このことを踏まえて谷川氏はこう言います。現代人のほとんどが健康やら老化防止を考えて生きている。つまり、生活優先のDeath Avoiding Behaviorで生きているのに対して〈不可思議/wonderboy〉の行為はLiving Behaviorなのではないかと。

次々に豚を谷底へ落としたのちに豚になめられることはDeath Avoiding Behavior (死回避行為)であり、百年後に白いユリの花に接吻することはLiving Behavior (生命的行為)なのかもしれないなと思いました。

「パイプ」と「夢十夜」をつなげたのは〈不可思議/wonderboy〉のようです。