物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

アルセーニイ・タルコフスキー詩集「白い、白い日」

このところ、ロシアのタルコフスキー監督の映画が話題になっていました。

私はタルコフスキー映画では『ストーカー』が好きです。この世界には、厳重に封鎖されたものすごく危険であるらしい「ゾーン」という場所が出てくるのですが、何が危険なのかわからない、むしろ自然の美しい場所です。物語の意味とは別に、この場所に対する深い結びつきというのか、愛情というのか、そういう感情に妙に酔わされてしまいます。

「ゾーン」を非合法に案内するのがストーカーと呼ばれる男。作家と物理学者のは、このストーカーを雇ってゾーンに潜入します。このときストーカーが、先輩ストーカーであるヤマアラシという人物が書いた詩を暗唱するシーンがあります。その詩がまた、すごく絡まってきた記憶があります。

その詩を書いたのが、タルコフスキーの父親であるアルセーニイ・タルコフスキーだったと知ってびっくりました。ロシアでは知らない人がいないほど有名な詩人なのだそうですね。

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この『白い、白い日』(前田和泉訳/エクリ/2011)の中には、ヤマアラシの詩もありました。「そして夏が終わった、まるで夏などなかったかのように、陽だまりは温かい、ただそれだけでは足りない…」と始まる詩です。映画の訳では「足りない」ではなく「寂しい」だった気がします。同じ意味なんだなぁと思いました。

他に、映画『ノスタルジア』や『鏡』に出てくる詩もこの詩集に収録されています。

 翻訳でも、アルセーニイの独特のにおいというか癖のようなものが伝わってきて、アンドレイ・タルコフスキーの映画にも繋がるものを感じました。健康で生命力にあふれている感じ。好きだなぁ。