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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

ザ・トライブ

ハードそうだなぁと思って、なかなか足が向かなかったのですが、先週末、ずっと気になっていた映画を、夫と2人で観てきました。

ウクライナのミロスラヴ・スラボシュピツキー監督による『ザ・トライブ』。すごく良かったです。本当に、すごく良かった…。ただ、彼らの世界を想像せずに主観的な見かたで観るときついかもしれません。暴力の意味とかね(日本とはまったく違う状況だということを考える必要があると思います)。

でも、さすがに評価は高いですね。2014年カンヌ映画祭で批評家週間グランプリ含む3冠受賞の他、各国の映画祭で30以上の賞を受賞しているとか。監督は1974年生まれだそうです。

舞台は寄宿制のろう学校。主人公セルゲイは、この学校にやってくることから物語は始まります。ちょうど何か華やかな式典があり、表面的にはまともな世界。でも、ここには犯罪や売春などをする悪の組織(トライブ)が存在していたのです。

内気そうに見えるセルゲイですが、ここに巻き込まれていきます。たぶん、彼には逃げるという選択肢がないのですね(そういうところも、やはり、日本とは置かれている状況が違うということだと思います)。

登場人物すべてが実際にろうあ者らしい。セルゲイ役のグレゴリー・フェセンコは1994年キエフ生まれ、相手役の女の子ヤナ・ノヴィコヴァは1993年ベラルーシ生まれだそうです。

最初から最後まで激しい手話やりとりで物語が進んでいきます。ひとつも音声による台詞はなく、ナレーションも、字幕もありません。音楽もない。あるのは、足音や、身振り手振りによって擦れ合う音や、それから暴力、セックスの音ですね。

それなのに、強烈にポジティブなコミュニケーションなのです。伝わりかたが半端じゃないく、むしろ言葉よりも雄弁です。…やはり、こういう状況は日本では考えにくいのではないかと。たぶん、ろうあであることが、日本ほど少数派的立場ではないのでしょう。

聞こえない彼らには音がないので、映画にも音が少なくなりますが、逆に、聞こえないからこそ、歯止めが利かなくなる場合もある。聞こえる人が想像する世界とはまったく違う別次元が存在することに気づかされます。

そして、自分の中にも共通の感覚があるのが見えてくるんです。その原初的な人間の言葉のようなもの…。

オフィシャルサイトにミロスラヴ・スラボシュピツキー監督の言葉が出ています。それによると、撮影は監督が生まれ育ったキエフで行われているらしい。映画で出てくる赤レンガの建物は(私には幼い頃に見た戦争で焼け残った建物と一致して怖かったのですが)二次世界大戦後、ドイツ人捕虜によって建てられたものなのだそうです。

そして、撮影はヤヌコビッチ政権に対する反政府デモの前に始まり、ロシアによるクリミア支配の後に終わったのだと…。役者を含む撮影チームのメンバーは、空き時間に反政府デモや暴動に参加していたそうです。

主人公セルゲイは、映画の中だけでなく、現実にも戦っていたということです。それは、映画が真実であるはずです。