物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

感覚の違い

読書案内「ピッピのくつした」の最新号を編集中です。昨日、8月4日も文学館で編集会議がありました。

難航しているのは読書会を紹介するページです。読書会を経験していない人にどうやってその面白さを伝えるかと考え始めると…うーん、難しい。詳しく紹介しようと選んだアトウッドの『侍女の物語』については、メンバー同士の感覚の違いによっかなり難航しています。

f:id:machienpro13:20140813093101j:plain

ところで、ここ最近の編集会議に文学館を使っています。コーヒーとサンドイッチが安くておいしいのが嬉しい。それから、ちょうど宮澤賢治展「イーハトーヴの鳥たち」という企画展をやっているので、メンバーと見学させてもらいました。

f:id:machienpro13:20150717230801j:plain

 

ところで、昨日の編集会議の後、私は、お茶の水女子大で行われた多和田葉子さんの講演を聞きに行きました。

多和田さんといえば、日本語だけでなくドイツ語でも作家活動をしているという、英語さえうまく操れない私には理解を越えた存在。でも、子ども時代から本が好きで、自作の本を作ろうとしたというお話に、やっぱりそういうことをするものなのなのだなぁと親しみを感じました。

私もかなり幼いころから色々な方法を考えて手作りしたものです。書籍などほとんどない貧乏家でそんなことに関心を持ったのは、読み書きを修得するのに何のストレスもなかったからだろうと思います。2、3歳の頃だったか、私が本を朗読しているのを聞いて、大人たちは面食らったようです。暗記しているのではないかとあれこれ調べてみたらしいけれどやはり読でいたのだと。私の記憶にはありませんけれどもね。

なので、うちの子どもたちが読み書きが困難なことにはびっくりしました。ADHDで、ディスレクシアなのです。私にはこの感覚がなかなか理解できません。まあ、簡単に言えば、ものごとを把握する感覚は人それぞれということなんですけどね。本当に、その人の持って生まれたものには違いがあるものですよ。

多和田さんの講演の後、バイリンガルでやっていく難しさについて質問した若いかたがいました。多和田さんの応えは、腹が立つこと、傷つくこともあるけれど、とことわって、普通に勉強(努力)するのだったらモノリンガルのほうが有利であるけれど、もっとがんばって勉強するならバイリンガルのほうがもっと先に進めると。

うーん、まさに、うちの子どもはこの状態なのですよね…。ADHDで人より情報が入りすぎてしまうので、集中でき(がんばれ)ないんです。でも、面白ければ異常に集中して能力を発揮できてしまう。

それでどう生きていくかは本人の選択ですが、みんなが同じだと思っている人たちにわかってもらえないことに困っています。まさに、腹が立つこと、傷つくこは避けられないのでしょうね。

それからもうひとつ。多和田さんは都立立川高校の出身だそうですが、学生運動があった当時に高校生たちが勝ちとった第二外国語を学ぶという権利があったことによって、ドイツ語を学んだそうです。大学はロシア文学科だったそうですから、その高校時代に学んだ経験からドイツに渡られたのでしょう。今から考えると、余裕のある時代でしたね…。

多和田さんよりもやや年下である私が通った都立高校も、学生たちの主張により私服となっており、受験と関係なく純粋に学ぼうという雰囲気もかろうじて残っていました。かつて学生運動の拠点になっていた長屋のような部室が崩れそうに建っていましたっけ。私は何かのちょうど切れ目の、ぎりぎり最後の世代という気がしています。