物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

読書会の報告

先月も今月も、ネットや冊子の情報を見て読書会に参加してくださったかたがいました。新しいメンバーが増えて、うれしいです。情報って届くものなのですね~。口コミで参加者を募っていくと、どうしても地域や年齢が偏ってしまうので、こんなふうに参加してくださる方が増えるのは、本当にありがたいです。

と言いつつ、今回の読書会(午前は絵本「うみをあげるよ」 、午後は「優しいサヨクのための嬉遊曲」)、私は用事があって夕方の最後の一時間弱しか参加できませんでした。午前中から盛り上がったようですね。残念。司会をされていたHさんに聞いてみました。

「午前中の絵本は赤ちゃんみたいだった男の子が団地から一歩一歩踏み出していって成長していく話だったのに、午後は新興団地育ちの男と女が、ままごと遊びをするみたいにその団地のサイズにすっぽり収まってしまうみたいな話でした。

でもサヨク運動にも恋愛にも本気になり切らない、形式にとらわれちゃうところとか、それでいてシラケきっているわけでもなく、頭では考えてるんだけど~みたいなところとかどこか自分にも通じるところがあるなと思いました。

午前中のお話も面白かったですね。小さな子どもがおしゃぶりタオルに囚われているように大人であっても自分が小さな枠にはめられていることにはなかなか気づけないものですね。たとえば自分の優等生的枠、自分がいいと思うことより、周りの評価を気にしてしまうこと、なんかに気づいたこともそうかな。…とかいう気づくことの連続かもしれない。

ここ(読書会)に参加することはタオルが飛んで行ってしまった事件に相当すると思います。」

そうですね~、読書会は、色々な人が参加してくれるほど見方が広がって面白くなります。正解を見つけるよりも、できるだけ世界を広げる読み方ができると実生活により役立ちます。

小説を読んでも何の役にも立たないと言う人がいますけれど、そう思って読むと、そうなってしまうのかもね。もったいないことです。

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今日は『現代思想』10月臨時創刊号の鶴見俊輔特集を読んでいました。すごく面白い。特に鶴見氏が表現活動をする自主サークルを研究していたという話があり、サークルと民主主義と関連しているのだと。なるほどと思いました。

私たちのサークル「ピッピのくつした」は公民館講座から立ち上がったものなので、「社会教育」(知る人の少ない)の視点をもっています。ただ現在は、公民館無料の原則は崩れているし、社会教育ではなく「生涯学習」だと言われたりして、なんだか訳が分からなくなっています。公民館とセットになっていると、迷子になってしまいそうです。

でも、別に公民館がなくても、サークル活動のようなものはどこにも生まれるものだと思うのですよ。公民館のおかげと言われると、どうも違和感がある。こういった活動っていつだって生活に役立つし、今までの人生でこういう活動をしていなかった時期はないと思うんです。

よく、東京の区部には公民館がないからグループができないとか、人間関係が薄いなどと言われますが、23区出身の私としては首をかしげてしまいます。下町では人間関係は密ですし、コミュニケーション法は複雑だと思うのですよ。

たまには小説ではなく、こういった文章の読書会をしてもよいかもしれませんね。