物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

ロボット Pepper

急に寒くなりましたね。

何か温かいものでも飲もうと、ときどきひとりでこっそり使っている町田駅前のSun’s Cafeというお店に久しぶりに入ったら、入口ですれ違った小さい人に目で後を追われたような気がしました。

「えっ?」と見返すと、あちらもじーっと様子をうかがうように見ています。…心なしか、まばたきをしているような。

ひゃ~、ロボット!!

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感情認識パーソナルロボットペッパー(Pepper)なのだそうです。

「勉強中」という札をつけていたので、人間を観察中なのでしょう。ずっとキョロキョロあたりを見回していて、人が通るたびに反応します。これが、妙にかわいい動きをするんです。生き物として認識してしまう感じですよ。

ときどき何かしゃべったり。しゃべりかけられた若者が無言になり「どうしたの?」と言われたりしていました。

日々、色んなことがあるものだ~。時代は変わりますね~。

 

この店で『鶴見俊輔座談 昭和を語る』(晶文社)という今年出た本を読みました。

これ、以前十巻本だったものを一冊に編集したもののようです。そのせいか、変わった人と語っています。

たとえば、そこで私が読んだのは、歴史学者の羽仁五郎氏(1901-83)、戦艦大和に乗ったという作家吉田満氏(1923-79)、人類学者中沢新一氏との座談です。

鶴見氏が言うのはこういうこと。

「明治38年(1905)の日露戦争を負けないで切り抜けたときに、日本の国家の指導者に大きな転換があったような気がするんです。それは国民にも同じことが言える」

「名誉や利益についての欲望に抑えがきかなく」なるのだと。現在の偏差値的な価値観につながるという意味なのでしょう。

と言われても、それより前の考え方って知らないですからね。

いや、そうでした、ちょうど今読んでいるモースの『日本その日その日』はこれより前の時代です。大森貝塚を発見したというモースが1877年に最初に来日したときの記録から、この本は始まっているのです。

貝が専門の生物学者ですので、江の島に小実験場をつくたときの日記では、日本人のことをこんなふうに見ています。

「私はこの村に於ける唯一の外国人なので、自然彼らの多くの興味を惹くことが大である。彼らは田舎から来ているので、その大多数は疑もなく、それまでに一度も外国人を見ていないか、あるいは稀に見ただけである。しかし私は誰からも丁寧に且親切に取扱われ、私に向って叫ぶ者もいなければ、無遠慮に見つめる者もない。この行為と、日本人なり支那人なりが、その国の服装をして我が国の村の路――都会の道路でさえも――を行く時受けるであろうところの経験とを比較すると誠に穴にでもはいりたい気持ちがする。」

ふ~ん、なるほど。