物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

レモンとモースとアボカド

国産レモンもらったので、その使い道を考えていました。朝晩冷え込むせいか喉が痛いような。おっ、ちょうどよい、ということで、レモネードをつくってみることにしました。

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うっ、これはすっぱいな…。でも、蜂蜜とよくあっている。

……ふ~ん、喉も落ち着いたような。これは、なんか効きそうですよ。

写真の後ろにあるのは、アメリカ人生物学者のモース(1838-1925)の著書『日本その日その日』です。1880年頃の日本の様子を読むと妙に落ち着くので、ゆっくり文章を楽しんでいます。モースが日本人をだんだん理解して腰を低くしていく変化の様子もわかります。

今夜読んだのは、江ノ島で過ごした六週間を思い出す場面。

いろいろな年齢の子供達が、いたる所にかたまっていた。が、私は最も彼等に近く住んでいたにもかかわらず、滞在中に、只の一度も意地の悪い言葉を耳にしたことがない。赤ン坊は泣くが、母親達はそれに対して笑うだけで、本当に苦しがっている時には、同情深くお腹を撫でてやる。誰もが気持ちのいい微笑で私をむかえた。

なんだか、現代よりも余裕のある様子ですねぇ。

私は吠え立てる犬を、たった一本の往来で追いかけ、時に石を投げつけたりしたが、彼等は私のこの行為を異国の野蛮人の偏屈さとして、悪気なく眺め、そして笑っただけである。親切で、よく世話をし、鄭重で、もてなしぶりもよく食物も時間も大まかに与え、最後の飯の一杯さえも分け合い、我々が何をする時――採集する時、舟を引張り上げる時、その他何でも――にでも、人力車夫や漁師たちは手助けの手をよろこんで「貸す」というよりも、いくらでも「与える」……これを我々は異教徒というのである。

このあたり、現代の私たちは日本人の側なのか、モースの側なのか、モースよりももっと先に行っちゃっているのか?
モースは、当時の日本人についてこんなふうにも言っています。

この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど、自然のあらゆる形況を愛する国民はいない。嵐、凪、霧、雨、雪、花、季節による色彩のうつり変り、穏やかな河、とどろく滝、飛ぶ鳥、跳ねる魚、そそり立つ峰、深い渓谷――自然のすべての形相は、単に嘆美されるのみでなく、数知れぬ写生図やカケモノに描かれるのである。東京市住所姓名録の緒言的各章の中には、自然のいろいろに変わる形況を、最もよく見ることの出来る場所への案内があるが、この事実は、自然をこのように熱心に愛することを、如実に示したものである。

こういう身の回りの自然を愛でる感覚だったら、私にもあるんじゃないかなぁと思いますね。子どもたちにもあるような気がします。

あ、そうそう、実は今、気になっていることがありまして。

何か月か前に息子がアボカドの種を土に埋めて(頭の部分は出して)毎日水をやっていたのです。なかなか芽がでないものなのですよ~。

それが、先日やっとちょこっと芽が出かかってきた…と思ったら、消えてしまったのです。種ごと、種の大きさの穴を残してね。喪失感というものが入ってしまうような、なかなか大きな穴でしたよ。

近くの植木鉢が倒れていたので、たぶん人間ではない小動物の仕業だと思います。と考えると、我が家に来るのは猫くらいしかいませんけれども。猫がアボカドの種なんて食べるのかしら、とネットで検索してみたら…

なんと、恐ろしや、アボカドの種って猫や鳥には毒らしいのです。…やばい。

以来、気になって、庭に来る猫がいるたびによくよく観察しているのですけれど、体調の悪そうなのは別にいないようです。

う~ん、それとも、種ではなくて出かかった芽を食べたのかなぁ…