物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

春画展 縄文人

今日は娘と一緒に永青文庫春画展に行ってきました。

昔、娘を妊娠中まで西早稲田に住んでいたので、運動不足解消のため神田川からこのあたりまでよく散歩したものでした。あまりに懐かしく、近くの都電荒川線で最寄り駅だった面影橋のすぐ横も歩いてみました。

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肝心の春画展は、ものすごい人でした。平均年齢はだいぶ高め。最近は、年をとってもお元気ということなのでしょうかね(笑。

それにしても、日本人は性に対してあまり罪悪感がないのだなぁとあらためて思いました。それから、独特の趣味の良さというかセンスがあるんですよね。それは、ある種の自己肯定感からくるのかなぁと絵を見ていて思いました。

このところ、昔の日本人が気になっていて、今、「宗教的思考」の3万年を語りつくす、という中沢新一氏のカイエ・ソバージュのシリーズを読んでいます。

と言っても、つい気になった第4巻の『神の発明』を最初に読んでしまっているのですが、縄文時代中期の頃の話が印象的でした。遺跡を発掘すると、真ん中の広場を中心にその周りに住居が環状に配置されているらしいんです。

広場では集会やお祭りがおこなわれていたと考えられますが、それだけではなく遺体が埋葬されているのだと。つまり「生者の住む住居は死者の住む墓地を真ん中に抱き込むような形でつくられ、そこでの日常生活はつねに死の臨在のもとにくりひろげられていた」と考えられるのだそうです。

たぶん、死が身近であれば、誕生も身近であったのではないか、という説にも納得。その感覚は、なんとなくしっくりくるような気がします。そうなんですよ。

そんなことを考えていると、第一子の娘を身籠ったときの理解を越えた感覚がよみがえってきました。生まれたときには、ひとり人間が増えるということの不思議を、なかなかのみこめないでいましたよ。でも、そんな居住環境だと、認識しやすいかもしれないという気がします。

実は、今住んでいる家のすぐ近所に祭事がおこなわれたらしい縄文遺跡があるんです。我が家のあたりまで住居があったのではないかと推測されます。そう考えると、面白いですね。