物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

『賢者の贈り物』『神様』『神様2011』

金曜日の読書会、午前中は『賢者の贈り物』、午後は川上弘美さんの『神様」と『神様2011』がテーマでした。どういう経緯で作品を選んだのか忘れましたが、午前と午後のの本が共鳴し合っていて面白く読みました。

いや、そうそう、『賢者の贈り物』はクリスマスにひっかけたのでした。みなさんにとって美しいお話というイメージが強いのかと予想しましたが、多くの人がかつて英語の教科書で読んでいて、giveとかなんとか、どうもやっかいだったという記憶が濃厚のようでした。

そのせいか、なんで貧乏なのに高価な櫛やら時計の鎖を無理して買うのだろうという疑問の意見も多くなりました。手袋や靴下を買ったほうが良いのではないかと。いや、そうではなく、無理して買うことに「愛」の証があるのではという反論も。でも、「愛」があったら、パートナーが大事な髪を切ることや、由緒正しい時計を手放すことを望むのだろうか。…などなど。

確かに、高価なプレゼントをしないと「愛」していることにはならないのだという世間の圧があるのだとしたら、窮屈ですね。

実際に自分がプレゼントをされて嬉しかったものって何だろう?ということをみなさんと思い出してみると、言葉だったり、音楽だったり、その人がずっと身に着けていたものだったり。意外なことに、高価なものはひとつも出てこないのです。

合理的に自分がほしいものをもらうのがいいけれどプラスアルファで相手の気持ちがほ伝わってきてほしい、と言ったかたがいて、その通りだなと思いました。

午後の読書会では、まず『神様』を、短い作品なので朗読してみました。聞いていて、とても心地よい物語です。繊細な気遣いをしてくれる「くま」と一緒にピクニックにでかけるのは、とても良い体験でした。

実は、ここでも贈り物が出てきます。まずは、引っ越してきた「くま」が丁寧に蕎麦とハガキをくれます。この組み合わせはなんだろう?という話になったのですが、最近引っ越しをされてきたかたが、ご近所にチョコレートと市の指定ゴミ袋を配ったんですよ~、と。

なるほど、誰でも使う実用的なものと、ちょっと楽しめる食べ物などでしょうか。合理的なものに、プラス気持ち、なんですね。

これが『神様2011』でどう変わったのだろうということなのですが、ちっとも変わらない「くま」と語り手。変わったのは、3・11後の周囲なのですね。だからこそ、考えさせられます…。

最近、ちょうど中沢新一氏のカイエ・ソバージュシリーズを読んでいたので、その偶然にしてはあまりに一致するテーマにびっくりしました。第二巻の国家論ではちょうど熊の神様の話でしたし、第三巻の贈与論ではプレゼントについて。やはりクリスマスの話で終わっていました。

 

というわけで、読書会の後は忘年会。お疲れさまでした。

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