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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

「ポピーシード」ラモーナ・オースベル(『生まれるためのガイドブック』より)

昨日午後の〈ささやかだけれど役にたつ読書会〉についても少し書きたいと思います。本は、メンバーのㇷ゚―子さんおすすめの短編「ポピーシード」ラモーナ・オースベル(『生まれるためのガイドブック』より)をとりあげました。重度の障害を持つポピーという女の子の両親が娘のことで思い悩んで、ある選択をするという物語です。

プー子さんは、女の子の母親が食料品店で老婦人に「あなたは聖人ね」と言われて「この子を外に連れ出して銃殺しろとでも」というところが好きだとおっしゃっていました。障害児の母親だったら「あなた聖人ね」なんて言われたくない、と。確かに、そうかもしれません。

ポピーの種というこの小説、ラスト近くにある衝撃的な場面があるんです。メンバーのTさんは、前日に自宅で朗読していて、その部分を聞いたパートナーのかたに「ええっ」とびっくりされたそう。「それ、読書会でやるの?」と。

私はその箇所を読んで、かつて娘を出産したときのことを思い出しました。夫と一緒にプールに入っての水中出産だったのですが、娘が出てきて私たちの間でニタニタ笑っているのをぼんやり見ていると間もなく、後産の痛み。

助産婦さんが引っ張り出してくれた胎盤は、かなり巨大だと言われました。それをメスでひと口大に切り取って「食べますか?」と差し出されて、私は躊躇なくそれを食べました。夫は「ええっ」と驚愕。同じように差し出されましたが、手を振って断っていました。

動物が子を産んだ後に胎盤を食べるのは当たり前です。産後の回復に役立つホルモンが含まれていますから、理にかなった行為なんです。でも、これも臓器ですから、人間社会の中で食べるというのはタブーでしょうね。

面白いなぁ、矛盾しているなぁ、と思ったものでした。

今日、坂本龍一氏と中沢新一氏の対談集『縄文聖地巡礼』をパラパラ読み返していて、こんな個所が目につきました。関連するような気がしたんです。

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中沢 いまの平和って戦争と関係のない平和という、すごく抽象的なものをつくろうとしている。だけど平和は戦争と背中合わせ、一体のはず。

坂本 縄文人だって戦争をしたし、武器もつくってたし、政治家もいただろうけど、どこかで歯止めになっていたのは、人間と動物イコールで、行ったり来たりできるということ。

中沢 敵をつくらないんですよね、絶対的な敵を。

坂本 それは生活の中にスピリットが組み込まれていたってことなのかなと。

中沢 大昔は、戦いで敵を殺すと食べていたでしょう。

坂本 相手の霊をリスペクトしていただく、取り込む。首狩り族もそう。食べることはリスペクトの形態ですね。

中沢 いまのぼくらはお店で肉を買って食べることにおいて、なんの罪悪感もなく食べているけど、昔は肉を食べながら、自分の兄弟からいただいているものだから、お返ししなくちゃいけないという感覚があった。縄文人にとって動物は敵でもあるけど、同時に自分たちの兄弟でもあった。近代人がなぜ人肉を食べることを恐怖するかというと、その感覚がなくなったからですね。

ラモーナ・オースベル著「ポピーシード」は、人肉を食べ小説ではないし、それがテーマというわけではないのですけれど、読書会では、そのへんのことに対する欧米人と日本人の感覚の違いについての話も出ました。

いったいどういう話なんだって感じですが、読んでないかた、是非読んでみてください。