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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

明治大学野生の科学研究所公開研究会「『対称性』の扉を開く」

物語・小説

カイエ・ソバージュ」シリーズ5巻を読んで感銘を受けたので、明治大学野生の科学研究所公開研究会「『対称性』の扉を開く」第3回の「神話と感覚の人類学」というものに参加してきました。レヴィ・ストロースを踏まえた2つの講演のあと、中沢新一先生も加わってのシンポジウムという流れでした。

最初にパナマ東部先住民の、身体形態論としての神話についての講演がありました。動物と人間との間の身体変形は面白いなと思っていたので、その境界面の話は興味深かったです。服を脱ぎ着するようにパッと変身する。身体を隠すのではなくて、海を泳げるとか、森を走れるといったその動物の能力を得るんです。

ちょっと、私たちの読書会でとりあげた阿部公房の初期の短編『デンドロカカリヤ』を思い出しました。あれは、植物への変形ですけれど、顔が裏返るんですよね。実は、学生のときに読んでレポートを書いたことがあるのですが、顔が裏返るという場面ばかりに惹かれて、何枚もその場面のイラストを描いた覚えがあります。その一瞬の反転に惹かれたのは、たぶん、そういうことにリアリティを感じたからです。快楽の裏側がひどい不快感だったりということを、性的経験などから、若い頃は実感していましたからね。

でも、講演を聞いていて、動物との変形と植物への変形は、方向的に逆向きなんだなぁと気づきました。

2つ目の講演は、駆け引きの神話論理ということで、これも疑似餌などで騙す話。あとで中沢先生が言っていたことですけれど、こういった「狡猾な知性」というのは、まず動物に発生すると。提灯アンコウの疑似餌みたいなものですね。それを人間が模倣するという話でした。なるほど、と思いました。

シンポジウムは、中沢先生が飛ばしてましたけれど、いや~、ワクワクしました。昔(たぶん30年前)中沢先生の講演を聞いたときのことを、思い出しました。
何より面白かったのは、感覚が思考するという話。それは詩や小説を書くときに日々体感していることなので、謎が解ける快感がありました。

そうそう、ピッピのメンバーの杉嶋さんに会場でばったり会いました。びっくり。なんと、一回目にも参加されたそう。

そうだ、考えてみたら、「カイエ・ソバージュ」シリーズを読んだのは、読書案内『ピッピのくつした』の前号の特集のために、杉嶋さんと宮本さんと座談会をしたことも切っ掛けになっていました。

研究会の後、一緒にお茶を飲んで興奮した熱を冷ましました。ちょっとしゃべりすぎたかも。すみませ~ん。