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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

『草原の実験』と『てぶくろ』

先日、友人にすすめられてアレクサンドル・コット監督の『草原の実験』というロシア映画を観てきました。第27回東京国際映画祭で「WOWOW賞」と「最優秀芸術貢献賞」を受賞したそう。

砂漠の真ん中の一軒家で、屈強な父親と暮らす美しい少女の物語。その少女に思いを寄せる青年ふたりとの三角関係が淡いタッチで描かれていきます。そのへんをやりすぎると臭くなってしまうところ、セリフがないことで心にそのま入ってくる。

私にとって、ここ数年で一番良かった映画は、手話だけで会話が成り立っている(字幕なし)ウクライナの『ザ・トライブ』なんですが、こちらはセリフがないことで攻撃性が増していました。手話が、音声による言葉をぶち壊す勢いで使われていきます。そこに心打たれたのですけどね。その、個々が本当に伝えたいという思いに。

それに比べると、やはりこちらもセリフのない映画なんですけれど、エンターテイメント的で、人びとのやりとりや心情が誰にもわかりやすいんですね。そういう意味で丁寧に音声にならない言葉が、言葉のルールに沿って使われていきます。その違いが面白いなと思いました。大国ロシアとウクライナの違いなのかな。

そういう意味で『草原の実験』は、ごく普通の、誰もが理解できるコミュニケーション法が使われています。タイトルの意味もわかりやすい。でも、だからこそ、ラストの衝撃は強烈でした…。

絵本で言えばアフガニスタンのある村の実話をもとに描いた小林豊さんの『せかいいちうつくしいぼくの村』的なラストです。この映画も砂漠だけれど美しいカザフスタンのパラチンスク村(旧ソ連)で起こったことを下敷きにしているようです。

びっくりしたのは、少女が景色を押し葉で描いたノートの表紙にウクライナ民話の絵本『てぶくろ』の「のっそりぐま」のイラストが貼りつけられていたこと。のっそりくまさんが着ている簡素な白いシャツとちょうど同じような服を、カップルになった若いふたりが着ているんですよね。その二人のシャツが日に干されているシーンが印象的でした。庶民の民族衣装なのでしょうか。

やっぱり『てぶくろ』は、一瞬成り立つ奇跡的な多幸感を表現しているのでしょうかね。…としみじみ思いました。

来月の図書館こどもまつりのワークショップでも『てぶくろ』を使ってみたいと思います。