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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

文学館ことばらんど開館10周年記念「この街の現在(いま)」

昨日、ことばらんど「この街の現在―ゼロ年代の町田若手作家たち」展のオープニングイベントに行ってきました。

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本展ゲストキュレーター塚越健司氏(社会学者)と町田を拠点に活動している劇団マチダックス(渡辺徹の息子さんがメンバー!)が町田の魅力について語るというものでした。

町田って、住みたい街ではないけれど、住んで良かった街としては上位なんだそうです。20年住んでみて確かに、住んで良かったし、住みやすいと実感しますね。そうだなぁ、でも、私は図書館を見て、住みたいと思って引っ越してきましたよ。

新宿のような大きな街で自分を砂粒のひとつと感じることは(先日紹介した『君たちはどう生きるか』コペル君は銀座からまさにこの感覚を味わうわけですが)決して辛いことではないと。でも、町田のような郊外ではどこでも同じという感覚を持ってしまって辛くなると。どこに行ってもあるチェーン店、似たような街並み、催し。

それは辛いというのは道理だと思います。人間は、自分がいる世界が狭いと感じられることが辛いんじゃないかと思います。テレビや新聞から得る情報はひろい世界のものだと錯覚しても、誰もが同じものを得ているごくわずかな情報。それをすべてと錯覚することは、むしろ世界を狭く認識してしまうことになるんじゃないかな。

狭い世界にしか共感できず、他人の不幸を聞いて感情に流されるだけになってしまうというのは、塚越先生がおっしゃるとおり辛いことですね。人間が共感し合えるのは、せいぜい百人だとか。そうですね。その世界をどれだけ充実させていくかが幸福感を高めるポイントなのでしょう。

対談の結論としては、ただ外に発信すればいいというわけではなく、内側に目を向ける。スモールユニットを大事にする方向に転換していったほうがいいと。まったく同感です。そうそう、あるミュージシャンの「身内だけが世界だ」という言葉を聞いて私がひどく共感したのは、今から30年近く前です。「たま」です(笑。

というか、そう思って20年近くも、何の経済的メリットもありませんが、ピッピのくつしたの活動をしています。そういう活動こそが地域の土台を支えるのだと思います。そうなんですけれど、それは経済活動優先の現代ではなかなか理解してもらえなくて誤解されることが多いんですよね…。外側に誤解されても、内があって自分が誠実であれば辛くないですね。

文学って広げる効果があるものですが、世界を広げる活動としての読書会を考えていきたいと思っています。今、若い人向けの読書会も企画中です。