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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

エトガル・ケレット「あの素晴らしき七年」

先日、文学館ことばらんどの高校生以上向け読書会で、イスラエルの作家、エトガル・ケレットが19歳の時に最初に書いたという小説「パイプ」をとりあげました。兵役についた初年度、自尊心を保つのが難しくなっていた時期に「パイプ」を書いて、著者は残りの2年をなんとか乗り切ることができたのだそうです(イスラエルでは男子の兵役は3年)。

参加者のみなさん、若い方ばかりだったので、共感の度合いが高かったように思いました。そのへんは、半世紀も生きている私たちとは、物語の受け取り方がこんなにも違うのかと打ちのめされもしました。

その「パイプ」を書いたいきさつを含め、息子が生まれてから、ホロコーストを生き抜いた父親が亡くなるまでの7年間に書いたエッセイをまとめた本、『あの素晴らしき七年』(秋元孝文訳 新潮社) を合わせて読みました。難しい社会情勢の中、誰かに迎合するのではなく、個人の立場が書かれている本です。

先日、アーヘンさんが紹介してくださった言葉で思い出したのが、この本に収録されたごくごく短い「ありふれた罪人」というエッセイです。ニュー・ハンプシャーの芸術家村の朗読会に参加したときのことが書かれています。ロサンゼルスのまだ活字になった作品がない女性作家の朗読を聞いたケレット氏。「ぼくは自分の恐怖に、欲望に、そして暴力に耳を澄ませた。その暴力は、ぼくのなかで決して消えない永遠の炎のように燻り続けているのに、巧妙に姿を隠しているためにぼく自身とそいつしか存在を知らないのだ。」

彼女が読んだ作品の中では、動物をいじめる子どもたちに父親が話す場面があったのだそうだ。そこで父親は、虫を殺すこととカエルを殺すことの間にはふたたつを隔てる線があり、いかに困難なときでもその線は決して越えてはいけない話す。

ケレットはこう考察する。作家は「世界に平和をもたらすことも、病めるものを癒すこともない。しかし作家がその職務を正しく行ったならば、さらにいくらかの虚構のカエルたちが生き延びることになるだろう。虫については、申し訳ないけれど、自分で何とかしてもらうしかない。」

先日、代々木公園に行きました。木の下って思ったより暗いんですね。

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その森に向う親子3人をつい手帳に描いていました。右から父親、小さい娘、母親が手をつないでずんずん森へ歩いていくところです。あっという間に去って行ってしまったので、描けなかったところは記憶で描きました。

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小説を書くのも、こんな感じだなぁって思います。