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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

第56回社会教育研究全国集会

昨日は明治大学で行われた社全協の全国集会の公民館分科会に、メンバー5人で参加してきました。

公民館の存続問題についてずっと考えていると身が持たないため、つい普段なるべく距離をとりたいという力が働いてしまうのですよね。世話人の打ち合わせに向う早朝の電車で慌てて資料を読みつつ、だんだん辛くなってくるということもありました。同じ電車に乗っていた座間の公民館長さんも同じことをしていたので、ちょっと安心しましたが。

でも、各地でがんばっている方々の事例報告を聞いているうちに、エネルギーを補給させてもらいました。それから、狛江市の市長選にも出たという平井さん、相模原で活動する浅賀さん、埼玉の三橋公民館裁判の原告としてユニークな活動もされているという嶋田さん、公民館活動から議員になられた小磯さんなどと個人的にもお話できたことは大変貴重でした。皆さん面白い方々だなぁと。

私はどうも個人的存在であろうとしすぎるのか社会学には相変わらず一定の距離をとってしまうのですが、色々な活動には様々な人間模様があり、どうにも興味をそそられてしまいます。あらためて、私はそういうタイプの人間なんだなぁと思い知らされました。

ただ、そういう私の立ち位置からでも、公民館の学びの重要性というのはどんなに言っても言いすぎることはないと思っています。高齢の嶋田さんが民主主義を学ぶために公民館が建てられたのだと高齢とは思われないピュアな目をしておっしゃっていた通りだなと。民主主義が正しく理解されている社会でなければ自由な表現活動など受け入れられませんし、自由な表現活動がなければ社会が発展し広がってくことはないのではないかと実感します。

以前紹介しようと思ってそのままになっていた『滝山コミューン1974』という、かつての団地で起こったことがドキュメンタリー風に書かれた本についてちょっとだけ書きます。都市型ファシズム? - 物語とワークショップ

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私は最初に「『絶歌』論」に紹介されていた文章を読んで、70年代の団地の小学校で革新的に民主主義を目指していたことが逆に全体主義になってしまったということが暴かれていく内容だと思ったのですが、実際に読んでみて、そんなにすっきりした構造ではないことに感銘を受けました。精神的負担を強いられたかつての団地の生活に懐かしさを感じると同時に、何か学ぶものがあるのではないかと迷っているところ。つまり、作者が決して安易に流さず冷徹な視線でもって、当時を分析しているということです。

極論を言ってしまえば、文学の価値って、それだけだと思います。フィクションでもノンフィクションでも、個人的感情や主義主張に流されずにどこまでも自分の視線でまっすぐ見るということだと私は思います。