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物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

シャーマン・憑依と人の気持ちを知ること

先月の読書会で大江健三郎「死者の奢り」をとりあげたのですが、参加者のみなさんに読解が非常に難しいようだったのが、どうしてなんだろう…とじわじわダメージを受けています。日本でたった2人しかいないノーベル文学賞作家の本を読めないのは悲しいですよね…。

いや、でも、そんなこともないのです。うちの子どもに限らず、中学生の時点で大江健三郎の初期の短編を読んで救われたと思っている人もいるみたいですね。それは、なんとなく理解できます。ひとつの価値観に統一することは、子どもにとって安全であっても、早め大人になりつつある子どもには危険極まりないと思うのです。それは、中学生だった息子を見ていて、本当に冷や冷やしたものです。

成長の仕方はみんなそれぞれで、同じことをしても、子どもによって正反対の意味を持つこともありますよね。そういう場合、嘘をついて合わせることは、子どものためになりません。人間、自分に嘘をつくことはできるだけ避けた方がその人の成長を阻害しないと50年生きてきた経験から確信しますので。

そういう場合に、安易な決めつけに流されずにひとつひとつ観察して地道に考えていく文章を読むことは、とても大事なことですよね。うちの子どもは理系だということもありますが、頭が整理された、と言っていました。精神的にも落ち着いたと。

「死者の奢り」の読書会の後、いろいろ話をしているうちに、登場人物に感情移入する場合は自分が登場人物に入れ替わって読む人がいることに気がつきました。そういう読み方ってあるのでしょうか…と思っていたら、国語が苦手の子どもは実はそういう読み方をしているという話もありました。そんなこと、早い時期に教えてもらえるといいのに…。そういうわけにはいかないのでしょうか?

常に自分として本の登場人物になって読んでいたら、常に「自分なら、こんなことしないのに」と思いながら、ストレスを抱えて読むことになってしまいますよね。それでは、何を読んでも同じだし、つまらないのではないでしょうか。

もしかしたら、読書が嫌いというのは、そういうことなのかな…という気がしてきました。どうなんでしょう?

先日の島田雅彦氏の対談のメンバの感想に、間違って省いてしまったところがありましたので、もう少し追加します。

Wさん:
島田雅彦氏は、作家にはシャーマン的要素があることや作中の人物に憑依する話しをしてたんです。物語の伝わり方について、吟遊詩人やシャーマン的人物の存在が欠かせない話もあり、ボブ・デュランのノーベル文学賞受賞や、流動的読書会でとりあげた不可思議wonderboyが人の心に入ってくることなど思い出すと納得でした。

小説を書くことだけでなく、読むことにも憑依の能力が必要ということなのでしょうか。