物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

モリエール「人間ぎらい」

最近、続けて読んでいた戯曲のひとつ、90年代にアメリカで書かれた「ウィット」について少し。

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小学校教師のマーガレット・エドソンという人が書いたものです。社会的地位を得た英文学者である50代の女性が、突然末期ガンを宣告されて激しい副作用のある辛い治療を受けて最後をとげるまでの物語。

つい気になって最後まで読みましたが、この作品を舞台で上演する意味が、私にはよくわからないのです。末期ガンながら彼女にはウイットがあり、ときには可笑しく…ということなのでしょうが、とても笑えません。笑えるという心理がどういうものかもわからなくて、背筋が寒くなりました。

でも、1999年度にピュリッツァー賞受賞。アメリカの各雑誌で絶賛され、フランスでも上演され、映画化も。日本でも2002年に上演されたようです。

…わからないですね。

演劇ではときに過激で残酷ともいえる表現は効果的だと思いますが、現実にはできないことが舞台上でくりひろげられているのを見て、自分の中にあるうつうつとした感情を昇華する作用があると思うのですが、そういう部分が見当たりませんでした。

昨日書いたレベッカ・ブラウン「犬たち」の過激な表現も残酷には残酷なのですが、その小さく縮こまった自分の領域を超えていくという意味が真ん中にあると思うのです。

とは言え、戯曲は演じ方によって全く違う作品になってしまいますので、実際に見てみないとわからないということはありますが。…すっきりしませんでした。

次はすっきりする戯曲を読もうと、1666年に書かれた古典、モリエールの「人間ぎらい」を手にとりました。訳者内藤濯のあとがきが1960年に書かれていましたので、訳もそうとうに古いですが、大きな字で読みやすい新潮文庫版です。

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実直な性質のアルセストという男性が主人公。曲がったことが嫌いで、なんでも本当のことを言ってしまうお堅い人間で社交界でうまく立ち回れるはずがありませんが、それなりに才能もあり、親友もあり、見どころのある青年でもあります。

ところが、こういう人間でも、社交界の中心にいる若く美しいセリメーヌという女性に恋をしてしまうところが、ドラマの始まりです。…というか、いかにもありそう。

すべての男性に好かれたいというくらいに思っているセリメーヌは、アルセストの気持ちには答えるはずもありません。アルセストの行動は滑稽ですし、セリメーヌも滑稽。

初演は、当時40代半ばだったモリエールがこのアルセストを演じたらしいのです。その後、10代後半の若者がアルセストを演じたり、30前後のアルセストになったり、役者によってだいぶ物語は変わったみたいです。それを想像すると面白い。幅のある戯曲だなぁと思いました。

しかし、これが17世紀の作品なのか…としみじみ。