物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

銭湯

先日の高校演劇「あけぼの」は面白かったなぁと3日たってしみじみ思っています。

それぞれの人物の厚みがあったと思うのですけれど、銭湯の雰囲気もうまく出ていたなぁと思うんです。みんな裸足できっちり服を着こんでいないところが精神にも作用していて、普通は言わないことを言えちゃうんですよね。そのへんの特殊な場を利用して、うまく人間関係が展開していっていたんだなぁと。

というのも、私の子ども時代には家に風呂がなかったもので、銭湯通いが日常でした。親や友だちと一緒に行く道々の楽しさ、湯上りの牛乳のおいしさ(ほとんど買ってもらえませんでしたが)、縁側で涼しい風に吹かれる気持ち良さ。大人たちが髪をすきながら、そんな爽やかな風とは不似合いなおどろおどろしい会話をしており、私はいつも耳をダンボにしていたものでした。小さい頃は男の子も一緒でしたし、妙な楽しさ、高揚感があったのですよね。

それから、銭湯といえば、湯船につかりながら眺める富士山の絵(富士山じゃない絵もありました)。私はネロ少年がレンブラントの絵を見上げるように眺めていました。絵描きの筆さばきをつい頭の中でなぞってしまって、いつかこんな大きな絵を描いてみたいなぁと夢見ていました。

ただ、混みあった脱衣場のびしょびしょに濡れた床は子どもの私にとってとても嫌なものでした。それが、あの劇の足がぬるぬるするというナメクジともつながるのでしょうか。昔の銭湯は超混雑しており、濡れた床に足をとられながら、大人たちの間で着替えるのは小さい子どもには至難の業でした。

学校を卒業してからは、家を出てすぐ近くに友達3人でルームシェアしようというときにも、わざわざ風呂なしの部屋を借りました。生活の場を広げたくて家を出たので、そういうことになったのでしょうね。銭湯がとても多い地域だったので、その日の気分であちこち入りに行きました。絵も違うし、それぞれちょっとずつ特徴があるんです。

劇中で「銭湯って癖になる」と女子高校生が言ってましたが、確かに癖になりますね。

私は、20代後半の同棲時代に本当に神田川の近くに住んでおりました。さすがに風呂付の部屋でしたけれども、近くに銭湯があったのでよくパートナーと入りに行きました。面白がって、よく神田川も歌いましたっけ。

劇中の神田川の弾き語りは途中で一回歌詞が飛んでいて、それは事故なのかもしれませんが、そんな銭湯の雰囲気の中ではむしろ好ましかったですね。会場から拍手もありましたが、そういうことでむしろ観客は盛り上がるんだなぁというのも実感。

いろいろ勉強になりました。