物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

連休、夫婦で映画に

  連休、夫婦で映画でも見に行こうかということになりました。何を見ようかと考えていて目にとまったのが、お世話になっているかたから送られてきたハガキ。2015年の地震で被害を受けたネパールに寄付したことへのお礼が書かれていました。「あ、そうそう、寄付を送ったんだ」と夫。
 それで「世界でいちばん美しい村」を見に行くことにしました。ピッピのメンバーがメルマガで紹介してくれたのを思い出したのです(ピッピでは、月2回メルマガを発行しています)。
 2015年のネパール地震後、最初は写真を撮りに現地に行ったカメラマンのかたが、その後、映画を撮ったという作品のようでした。映画に撮られている山岳地帯にある村の斜面は見るからに地盤がゆるそうで、ここで地震が起こったら怖いだろうなぁ…と恐ろしく思いました。というか私は真っ平な土地で育ったもので、どんな生活をしているのか、映画を見ただけではなかなか想像できません。
 はっきりわかったのは、4000人の村で、学校に通っている生徒が600人いるという数でした。その比率があまりに私の住む地元町内とは違うので、驚きました。私が住む町内にその1/10の人数が暮らしているとして、高齢者は150人、就学児童は20人くらいじゃないでしょうか。この違いはすごいことだなと思いました。
 この4000人の村で亡くなられたのは24人ということでした。家はほとんどが崩れ、崖崩れ、大きな岩が落ちてきたりもしたようです。怪我をした人も多かったでしょう。
 ひとつひとつの葬儀を村中で丁寧に行っているらしく最後の葬儀が行われたのは一年後。ひとりの人間を失うということは、本当に大きいことだと思います。時間をかけるのが自然なことなのだなと実感しました。
 ただ、この映画には写真家の方が撮っているせいか、不思議と時間感覚が描かれていないので、むしろ時間ということを考えさせられました。物語には、何より時間が必要だということ。人間を把握するにも時間が必要なのだということ。
 村の人たちは先祖の霊をとても大事にしているので、たぶん歴史のある村なのだと思いますが、地盤がもろくなっているということはどうしてなのでしょうね。生活が近代化したことによるものなのでしょうか。古い儀式はそのまま行われていますが、村には電気も通っていますし、水道もあります。そのへんも、時間感覚が測れません。
 危険な村から離れて、もっと高くて平たい土地に避難キャンプができているのですが、そこに避難できない人が大勢います。高齢者のかたが先祖の土地を離れたくないという気持ちはわかりましたが、キャンプからでは畑に通えないという理由をあげる人がほとんどでした。畑の映像はなかったので、どういうことだったのか。
 同時に、安全なキャンプ地に移転した学校に通うのは、村からそうとうに歩くことになるので、小さな子どもには大変だという話もありました。
 村人たちは安全なキャンプ地に避難したのか、危険な村に戻ったのか?
そのへんの時間感覚がわからないのは、現実がそれほど単純ではない、混乱しているということなのでしょう。
 映画でもっとも印象に残ったのは、子どもたちがとても大事にされているということ。それから、知識人が大事にされていること。村にいる唯一の看護師は、政情不安の折に知識人が連行されるかもしれないという情報が流れたときに、自分があなたの身代わりになる、と申し出た村人がいたと語ります。だから、彼女は村人のために全力を尽くしたいと。村人に大事にされていると感じたので、こたえたいと。子どもたちも、親に楽をさせたいとがんばりたいと言います。
 それは真実の言葉だと思われました。映画の端々にそういう様子ははっきりと映っていました。
 映画の後、いつもは夫とは別行動になるのですが、今回は一緒にランチを食べながらあれこれ語り合う機会になりました。連休はまだ続きます…。