キノコと時間
このじめじめした天気のせいでしょうか。昨日の夕方みつけたキノコのたまご。
半日たって、今朝はこんなふうに成長していました。
それから、粘土みたいにくっついたキノコも発見。
これはいったいどうなっているのでしょう?と思っていたら、同じ場所を3日前に撮った写真を見せてくれた人がいました。
更に、一週間前に撮った写真も見せてもらいました。
ええっ、これだったんですね…。
キノコにとっての短い時間ですが、やはり時間の経過には物語を感じてしまいます。
今、アンソニー・ドーアの『メモリー・ウォール』を読んでいます。単行本の扉にルイス・ブニュエルの言葉が引用されていて、なるほどと思いました。
記憶こそがわれわれの生を作っていることに気づくには、ごくわずかでも記憶
を失いはじめる必要がある。記憶のない生は、まったく生とはいえない。それ
は、表現の可能性を持たない知性が真に知性とはいえないのと同じだ。記憶は、
われわれの一貫性を保つものであり、理性であり、感情であり、さらには行動
でさえある。記憶がなければ、われわれは何者でもない。
を失いはじめる必要がある。記憶のない生は、まったく生とはいえない。それ
は、表現の可能性を持たない知性が真に知性とはいえないのと同じだ。記憶は、
われわれの一貫性を保つものであり、理性であり、感情であり、さらには行動
でさえある。記憶がなければ、われわれは何者でもない。