物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

町田高校演劇「ミルク」

先日の多摩南の地区大会で見た「ミルク」を文化祭でもう一度観てきました。3年くらい前に時間通りに行ったら入れなかった記憶がありますので、かなり早めに行きましたがすごい人。

でも、普通のクラス劇も当たり前のように行列ができています。3年生のクラス劇も何本か見たのですが、技術がなくてもそれぞれのカラーや見せどころがあって面白い。「素敵な選TAXI」という劇は、構成や伏線処理など脚本がとてもうまくできていて驚きました。それを役者がみんなきちんとつかんでいて、その役に入り込めている。こういうのって、何でしょうね、イタコみたいなものかな。

小説を書くのもそうで、その登場人物に入り込めないと書けません。というか、そういうのをやって人々に見せ、物語にまとめてひとつの事柄としてみんなが記憶できるものにするのが小説の役割だし、存在価値だと思いますけどね。

そう考えると、たぶん高校生という年齢に身体的な表現方法が合っているのだと思います。将来を模索して全身を使って動いている人たちですからね。唐十郎じゃないですけれど、特権的肉体論みたいなことでしょうか。プロとして一つの方向に訓練された身体ではなくて、色々なことを目指している個性が生き生きと動いている様子に、観客は魅せられ、世界を広げてもらえるのですよね。

私自身、都立高校生だった時代に、なぜか技術も何もまったくないまま勢いでクラス劇の脚本を書き、まともな文章も書けないまま小説が書きたいと切に求めたものでした。向こう側に行きたいというどうにもならない欲求、欲望。あれは何だったのでしょう。大人になると、そういうエネルギーがなくなるだけじゃなくて、切実さがなくなりますね。なにしろ現状を変える必然性がないわけですから…。

あ、で、「ミルク」ですが。

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2日目最後の公演を観たのですが、地区大会のときよりも迷いがなく、熱が入っているのを感じました。内容を知っているのに衝撃を受けました…。

この演劇の特徴はよくある高校演劇のように若い人だけが出てくるのではなく、色々な世代の人が登場し、メッセージも色々な世代に向けてなされていること。大人に単純な反抗や依存をするのではなく、違う人間と考えて自分の人生を生きていくという宣言をしているように受け取れました。大人世代の身勝手さに憤りを感じつつも、最終的にそれを静かに認めるという姿勢です。

上から目線で若者を見ている大人にとっては、そういう彼らの視線が少々痛くも感じるかもしれませんし、年長者に依存する若者にとってはストレスを感じるかもしれません。

脚本はそうとうに練られていますし、音楽や美術など総合的に考えられたおしゃれな演出で仕上げられているところ、とんでもなく正統派演劇です。

ただ、だからこそ、この作品に大事なのは熱量だし、高校生が演じるということだと思うのです。まだ発展途上。もっと良くなる作品だと思いました。上の大会に行けると良いですね。