物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

「告白」と「雪女」

昨日の読書会。自分で選んでおきながら、なんという組み合わせなのかと思いました。どちらも異形のものというか、どちらも人間世界を離れてあちら側の世界に行ってしまう物語でしたね(冷汗。

ラフカディオ・ハーン「雪女」は岩波文庫の『怪談』に入っていたものを朗読させてもらいました。日本で語られてきた昔話ですけれど、ハーンが書き起こしたということで、西洋的な空気も混ざった色鮮やかで奥深い物語です。

小学校高学年に同じものを読み聞かせたことがありますが、子どもたちはしっかり理解してじっくり聞いてくれました。平井呈一さんの、一般的感情に合わせて日和らず、忠実に雪女の感情をたどっていく訳が良いです。

だからこそ感じる怖さというのがあって、ひとつは雪女がまとっている自然の厳しさですが、雪女の女性としてのあまりに真剣な感情もあるのではないかと思います。日本の昔話としては「鶴の恩返し」のほうが好まれるのは、かつて自分を犠牲にする女性のほうに親しみを感じた日本人の価値観のせいなのでしょうかね。

今、女性としては、鶴が自分の羽を抜いて機織りする行為を考えると苦しくなりますが、その反対に、どこまでも自分の意志で行動していく雪女に対してはどう感じるでしょうね。

『告白』は、明治期に起きた河内十人斬りという歴史に残る凄惨な事件の犯人の人生を内面から描く小説です。どちらかというとどん臭く、頭は良いけれど力も弱かった熊太郎は、両親の寵愛を受けて甘やかされます。実母が亡くなっていることから、余計に甘やかされてしまうのです。更に自分で自分を甘やかすことで引き返し不能なところまで行ってしまう…。

町田康さんの独特な語りのリズムに引き込まれて600ページを超える小説を、皆さんそれほど苦労せず読まれたようです。でも、読書会をやってみてあらためて思いましたが、やぱり相当に重い作品です。

(一人で読んだときはひとつの視点でも、読書会では少しずつずれた複数の視点で読むことになるので、うまく整理すると立体像が見えてくるのです。)

熊太郎が独善的に内側から見る世界を語っていくだけでなく、その世界に生きた空気を送り込むために、現代との距離を測りつつ外側の視点も存在していること。その中で広がっていく世界の、どこまでが現実で、どこまでが幻想か。どこまでが真実で、どこまでが嘘か。そんなことを考えつつ読んでいると、最後に世界がひっくり返る。

あまりにきっちり物語世界が構築されているからこそ、ひっくり返る衝撃が大きい。でも、よくよく思い出してみると、熊太郎の記憶や思考にほころびがいくつも描かれていたということが思い出されます。無意識な誤魔化し。

面白かったのは、参加されたエンジニアのかたの機械図面についてのお話。外側から図面を描くのが当たり前だと思っていましたが、それは日本の常識であって、ドイツでは内側から図面を描くのだとか。

うーん……。

今日は、毒消しに室生犀星を読みました。この本に入っている「幼年時代」という自伝的作品です。舞台になっているのは北陸ですが、時代はだいたい同じです。実母と生き別れて養母、養父に育てられますが、その世界観の違いが面白い。

f:id:machienpro13:20171028154408j:plain