物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

読書会の準備

読書会の準備のためにクッツェーの「恥辱」を再読しています。以前読んだのは、2013年3月に第1回東京国際文芸フェスティバルにクッツェーが来日する前でした。その時は、展開のスピードのシャープさに圧倒されました。
今は私自身が主人公の年齢に追いついてしまったせいか、主人公の語りを田山花袋「蒲団」にも満似た痛々しさを感じながら読んでしまっています。この作品とは直接関係ありませんが、自分の変化をこういうところでも感じるのだなあと。
同じ小説でも、読んでいる側の状態によって感じることはいろいろです。リアルな小説ほど気づきは多いですね。
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昨日、「ユーリーノルシュテイン《外套》をつくる」というドキュメンタリー映画を見ました。
アニメーション制作がどう行われるかの細部が垣間見えてドキドキしましたが、この映画はノルシュテインが語っていることを描いた作品。ドキュメンタリーという手法に違和感を持つ私は、入り込めない部分がなきにしもあらず。
でもノルシュテインが30年間制作中となっている大作家ゴーゴリ「外套」の解釈は面白いなと思いました。ボロ外套を着た主人公アカーキーはいじめられていて、いじめられるのは子どもだからだと。
ノルシュテインのアニメーションは「霧につつまれたハリネズミ」と「キツネとウサギ」しか見たことがありませんが、ここに共通なのはいじめなのかもしれないなと思いました。
原作を読書会で取り上げてみる手はありますね。
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