「ティファニーで朝食を」読書会
カポーティ「ティファニーで朝食を」の読書会はみんなで深いところまで読むことができたので、そのことを書こうと思っているうちに日がたってしまいました。
言葉にすると薄っぺらくなりそうなのです。天才であるカポーティが奇跡のように描き出した作品を理屈で説明するのは土台無理な話です。
不思議なのは、戦時中のニューヨークの物語の中に、バブル期直前の私自身の、いわゆる青春体験と重なる部分があることです。
小説ってそういうものなのですね。
小説の中でカポーティの分身のような「僕」やバーの店主ジョー・ベルがホリーを思い出すように、今でもそのホリーに似た友人を思い出します。私の人生の分岐点となった時代と場所に大きな存在としていた友人は、その後、小説と同じようにどこかに消えてしまいました。
ホリーに瓜二つの彼女は、やはり尋常でなく人に好かれましたが、非常識で、私の許容範囲を越えていました。
よく彼女にホリーのセリフのような謎めいた言葉をポンと放られ、何の気なくキャッチしていましたが、三十年以上たった今でも思い出すというのは、その答えをずっと考えてきたということなのか…。
小説を読み解くことで、まだ解けていない謎を考える面白さがありました。
今、更年期というまた大きな分岐点にいると、青年期がひどく輝いて見えますね~。