物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

上野千鶴子さん講演

第20回まちだ男女平等フェスティバルの初日にホールのオープニングとしての上野千鶴子さんの講演に参加しました。上野さんのお話を直接聞いたのは実は初めて。お話はわかりやすくシャープにまとまっているのに内容は構造が複雑で深い。さすがだなぁとため息が出ました。

タイトルは「支え合いと連帯で目指すジェンダー平等社会~男女平等参画はゴールかツールか?」というもの。上野さんはアプローチとして、フェスティバルのチラシのどこにも男女平等参画という言葉がない、すべて男女平等で統一してある、町田の民度は高いんですね~と述べていました。会場の一部が沸いて、そういう意識があるんだなぁと。

上野さんを招いた経緯を私は知りませんが、昨年度東大入学式の祝辞は関係しているでしょうね。講演の中でもその話が出ました。

その恵まれた環境と能力を、人を貶めるためではなく助けるために使ってくださいという部分。そこをノブレス・オブリージュと解釈されることが多いけれど、そうではないと上野さんはおっしゃった。
祝辞のその部分にはまだ続きがある。自分の弱さを認め、支え合って生きて下さい、と。

障害を持ったお医者さんである熊谷晋一郎さんの「自立とは、誰かひとりに依存していると思わないでいる権利」という言葉を紹介して説明してくれました。それはそうです。強者のまま一生を終えられる人なんていませんからね。でも、なかなか理解されないことなのではないかな。

講演前のオープニングセレモニーでは、20年の振り返りごあり、過去のチラシも会場にも展示してありました。

第2回のフェスティバルのチラシに自分の絵を見つけました。このとき、イラストを描いてたんですね。そうそう、乳飲み子を抱えて会議に出ていたんでした。

子どもが生まれたことで、両親と自分の関係の暴力性に少しずつ気づいていた時期。私にとっては非常に苦しく精神が壊れかけていた時期です。
当時は男女平等参画とかジェンダーフリーという言葉がもてはやされていましたが、違和感がありました。そういう言葉を使っても苦しさは軽減されなかったからです。

男女平等参画ではなく本当に大事なのは真の平等ではないのか、という意見を言って、サブタイトルに入れてもらった記憶があります。
壊れかけているだけでなく、今より未熟だった私には、反論されつつそれを言い切るのは大変な負担でした。
結局、そのあとのショックな事件により鬱病を患いました。でも、まあ、それは必要でしたね。
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