短編「父の願い」
抒情文芸夏号に短編「父の願い」を載せていただきました。有り難いです。
内容はかなりそのままの私小説とも言えますが、やはりフィクションです。現実は異常すぎるので、つい普通の話にしてしまうのですよね。本当は逆だといいのだろうなぁ…
父の相続問題がなかなか片付きません。早くスッキリしたいですが、お金のことだけでなく、精神的なことや家族の問題など精算しないと片付かないのかなと思い始めています。
就職したての娘には「お母さん、そんなことをしている場合かな。やるべきことは何?」と言われました。いい加減もっと真面目に小説に取り組まなければ…。
子どもたちの手が離れ、人生の変わり目なのかなぁというか、変わらないといけないのかな。
ここのところ東田直樹さんのエッセイや往復書簡など片っ端から読んできました。なぜかフィットし、共感します。何なんでしょうね?
とりあえず、次回の小説は自分とできるだけ離れたものを書いてみようと思います。まだ何も考えてないけど😓
推し、燃ゆ 読書会
今月の読書会の宣伝を忘れてました。
報告だけになり、すみません💦
昨日の読書会、芥川賞をとったばかりの宇佐見りんさん『推し、燃ゆ』をとりあげました。息子と同じくらいの年齢の作家さんなので自然親しみを感じてしまいますが、前日に再読し、すごい才能だなぁとため息。というか再読なのにワクワクしながら読みました。
小説に、推しは背骨、とありました。それくらい女子高生の主人公が生きていく支えになっている。それが現代の病みたいな見方もあるかもしれませんが…そうなのか?
読書会では、つい参加者の方々の推し体験などもお聞きし、推しという言葉はなくともそれぞれの年代に特徴的な推しってあったのだと確認しました。
考えてみたら自分にも当然経験があり、最近は父が亡くなった後のあれこれでかなりストレスフルだったので、無意識によく推しの曲をスマホで聴いていました😅
…それはそれ。
大人になってひとりで立つことはもちろん必要だけれど、支えを見つけることは、思春期や青年期、それに限らず人生の難所を上手に突破するコツでもあるのかなと。
その難所にいるしんどさというのは私も何度か経験していますが、ひとつの辛さは、コミュニケーション不全かもしれないなぁ…。鬱の時なんて、客観的に考えたら何の問題もないのに、自分にとってだけ、人との普通のやりとりがしんどいのですよね。まったく楽しいという感情を忘れてしまってますからね。
そう考えると、小説の中で印象的だったこと。主人公あかりが、親や教師やバイト先の大人たちとはうまくコミュニケーションできていないし、学校のクラスという大集団では浮いていても、友だちはいるしSNSではむしろ巧みにコミュニケーションできているということです。そこには同一人物とは思えないほどの齟齬があるのですが、たぶん、そこがすごくリアルなのですよね。
これ、何だろうと考えていて、最近読んだ東田直樹さんの『自閉症のぼくが跳びはねる理由』というエッセイを思い出しました。身体のコントロールが利かない、人の話をきちんと聞くことかできないし、思ったことを話せない。思ったことと逆のことを言ってしまうこともあると書かれていて、ちょっと興味を持ちました。
そういうことって、自閉症や鬱病じゃなくとも、誰にも多少はあるのではないかと思うのです。人によって見ているところは違うし、関心を持つ場所も違うし、生きている次元が違うし、当然コミュニケーション法も違ってきます。
個人的に、もう少し考えてみたいテーマです。
忘れないうちに。来月の読書会は、5月28日(金)アガサ・クリスティ『春にして君を離れ』です。13時半から、町田市民フォーラム3階多目的室です。午前中、お茶会もあります。…という今のところの予定です。
緊急事態宣言が出るみたいですので気をつけないと😔今日は1人で、外でサンドイッチを食べました。
次の読書会は『華氏451』です。
コロナ禍のせいでしょうか、最近プチ鬱のような気配。
父が亡くなったり、色々な喪失や変化や悪化(仕事の条件)が重なっていることも影響しているような気がします。いや、それもすべてコロナと関係があるとも言えますかね😥
初っぱなから気分を落としてもあれですが、次の読書会テーマはレイ・ブラッドベリ『華氏451度』になります。3月26日(金)13時半から、いつもの町田市民フォーラム多目的室にて。
まだお茶は出せませんが、各自お茶持参のお茶会も10時からあります。
今日はカフェで読書してから仕事に以降と早めに家を出たのに財布を忘れていた😖
スタバのポイントを使えることに気づいてこんなものを頼んでしまいました。体重オーバーなのに…。
あ、そうそう、抒情文芸の春号に拙作『コロナ世界』を載せていただきました。ありがたや😌
今読書会、2月26日三島由紀夫『金閣寺』
先月の読書会、遠野遥『破局』の宣伝も報告もしていませんが、今月の読書会も迫っているので先にお知らせします。
2月26日(金)の読書会はいつもどおり13時半から町田市民フォーラム多目的室にて行います。テーマは三島由紀夫『金閣寺』です。
午前中は、お茶持参お茶会もあります。
中学生のときに最初に読んで、その後も何度か読んだのかな手持ちの文庫は買い換えた平成元年刷りでした。でも、だいぶ古いわ😥
実は、先月末に父が他界しました。余命宣告をされていたとは言え、80代にはまったく見えない元気さだったので、気持ちがついていけません。痛みも苦しみもなかったのは良かったけど、本人も「え、なんで?」と最後まで思っていたのではないかな。肝硬変というのはそういうものなのかな…?
何を読んでも父のことを思い出してしまうのですが、今『金閣寺』を再読していて色々な意味で驚かされます。
エンジン・サマー読書会報告
日々の生活に追われているうちにすっかり年の瀬。
年齢が同じくらいなので仕方ないですが、両親と義理の父と皆それぞれ不調を訴え、特に父が深刻な病と診断され、余命宣告までされてしまいました。
以来、意識の何割かが常にそちらに使われている感じです。色々対策して頑張っています。
私はそんなに父のことが好きだったのかな? と首をかしげるけど、医師の言葉を信じることができず、なんとか元気になってほしいと思っている自分がいます。
今月の読書会のテーマ本はジョン・クロウリー「エンジン・サマー」でした。取り上げるのは2度目なので再読の参加者も多く、それぞれ自分に引き寄せなんとか噛みきれて味が出てきたかなといった感じです。
この本は、SFエンタメ小説っぽい始まりかたをするのでつい油断してしまうのですが、実はすごく複雑にできています。
主人公〈灯心草〉が生まれた迷路街から物語は始まりますが、直線的にストーリーを語る一方、不可思議なエピソードを含むいくつもの枝道が絡まりあっています。まるで迷路街の道が蛇のようにとぐろを巻きつつ、蛇の手なる無数の枝道があるように。
〈灯心草〉も、メインの道よりも枝道の方が大事だと語ります。
この迷路街の少年〈灯心草〉はかなり原始的な生活をしていますが、彼の話を聞く少女は天使に属する文明社会の人間。たぶん読者である私たちに近い存在です。読者は、彼女の立場でかなり不思議な〈灯心草〉の話を聞くことになります。
迷路街にはファイリングシステムなる透明な硝子板を重ねて絵を見るシステムがあり、読者も〈灯心草〉〈少女〉と自分等、いくつもの硝子板を重ねて読むことになるのでしょうね。
たとえば私は、父のことに心を奪われていたので、〈灯心草〉とその父親〈七つの手〉のやりとりを興味深く読みました。
父親は部落を出て外の世界に旅立ちたいとずっと明言しているのですが、それが父と息子の関係に結び目をつくっている。というか、それが結び目の存在を知らしめるものなのかな。
結び目というのは、嫉み妬み等コミュニケーションの流れを滞らせる負の感情でしょうか。
〈絵の具の赤〉という老婆のアドバイスから〈灯心草〉は、父に一緒に連れていってくれと頼みます。繰り返さず本心から一言で。
父親にまず足慣らしの遠足に誘われて、2人は出かけます。その足取りはどう考えても父親の方が確かなのですが、行動を共にしているうちにお互いが感じとっていきます。外の世界に旅立つのは息子の〈灯心草〉だとお互いが理解するのです。
たぶん、もともとそうなんですよね。そこを見ないようにして、お互いがお互いを意識しすぎて結び目ができてしまっていた。結び目がほどけるとお互いがお互いを思いやれるようになる。
そういうこと、あるなぁと思いました。
2人の結び目がほどける瞬間を、自分の今経験しているまったく違う出来事と重ねてリアルに感じました。
物語の面白さってこういうところにありますね…