WEAと日本の社会教育運動
社会教育全国協議会の公開学習会「英国の労働者教育協会(WEA)の活動―その概要と現在の課題、日本の社会教育運動との交流にかける思い―」に、ピッピのメンバー3人で参加してきました。場所は法政大学市ヶ谷キャンパスのボアソナードタワーです。これがボアソナード博士と一緒に撮った記念写真。
昨日お会いしたマットさんとジュリアさんの報告を、今日は興味深く拝聴しました。英語が苦手な私にはなかなか困難でしたが、大人のための社会教育が置かれた状況の厳しさが日本だけではないことは(いや、日本よりも進んでいることを)十分感じました。また、学習が権利ではなく、消費の対象となる商品に近づいているという話も日本と同じかなと思いました。
経済の危機を迎えつつある現在、教育費が削られていくことを怖いと感じます。WEAのマットさんもおっしゃっていましたが、学習することで目指すのは自分の不遇を自力で変える力を持つこと、また、社会の一員としての大きな視点で社会を評価することができる強い精神を養うことだと思います。それができないと、社会はバランス感覚を失っていきます。
一番驚いたのはイギリスの大学進学にかかる費用が高いこと。私たちのメンバーの子どもたちは今ちょうど大学進学の時期ですので、身につまされました。日本も負けないほど高いです。でも、イギリスでは最低ラインが高く設定されているようなのです。奨学金を受けるにしても、卒業後の就職の難しさを考えると、ワーキングクラスの人が進学するのは相当困難だろうと思いました。
WEAはそんなワーキングクラスの人たちの学習を支援していますので、需要はますます高まっていくのでしょう。障害を持った人たち、外国から来て英語を話せない人たちも支援しています。WEAは1903年に創設された歴史ある非政府組織で、現在は最大のボランティアセクターでもあるそうです。
ただ違いを感じるのは、日本は明確な階級社会ではなく、現実的には世代格差のほうが大きいように思えること。生涯学習を考える場合、ワーキングクラスと言うよりも、むしろ知的職業についていた高齢者を対象にしているケースが多いように思います。弱者に提供するシステムになっていませんよね。
また、社会教育を考えてきた私たちの学習の場合も、誰かに提供してもらうのではなく自分たちで自主的に学び合うという方法を基本としています(実は、そのほうが効果が高いのです)。そういう意味では理念さえ理解できればあまり多くの支援を受ける必要はありません。
話が飛びますが、今読んでいるレイモンド・カーヴァーの伝記(ちょっと前にブログで紹介した)に、小説作法をいろいろな大学で学ぶ様子が描かれています。1960年代のアメリカですが、学生の書いた作品を使ってお互いに読解・批評し合うワークショップの形がとられることが多かったようです。読んでいて、これは効果的だろうなぁと思いました。
…と、ここまで書いてきて、私たちの初期の活動はノルウェーのテキストを参考にましたが、社会教育では北欧と日本が先進国であることをやっと思い出しました。日本人て、こういう妙に自信のないところがあるのですよね。