物語とワークショップ

ピッピのくつした/まちだ演劇プロジェクト

翻訳と読み聞かせ

昨日は津田塾大の公開講座に行ってきました。私たちの読書会でもとりあげたクッツェーの『恥辱』を翻訳された鴻巣友季子さんのお話でした。

タイトルは、新訳はコンテンポラリー文学であり得るか?

読書会で最近とりあげた『星の王子さま』『キャッチャー・イン・ザ・ライ』にも触れて、興味深かったです。

講演の最初に、翻訳に一番大事なのは語学力だとおっしゃっていて、それはそうなんだろうなぁと思いました。語学力がなかったら解釈できないし、解釈できなかったらそもそも翻訳なんてできないし。文学では、それはそれはどうしようもないことだろうなぁと。

講演後、学生さんの質問に対して、翻訳ということを球体に光をあてることにたとえてお話されていたのが印象的でした。光源がはっきりしないぼんやりした光をあてれば誤訳は減るかもしれない。でも、光源を絞ってくっきりした球体を見せる努力をしたいとおっしゃっていました。

翻訳のことはよくわかりませんが、お話を聞いていて似ているなぁと思ったのは、私たちがボランティアでよくしている子どもたちへの読み聞かせ。

淡々と平板に読むことが良いとよく言われますが、私はそうは思いません。きちんと読む本を深く読解してから、その解釈に沿って読むことが大事だと思っています。場合によっては読み方を工夫する必要もあると思うんですよね。

まあ、平板に読めというのは、わざとらしく声色を変えてステレオタイプに読むことを避けられるようにしているのだとは思いますが。

読み聞かせをしていると、翻訳者になった気分を少しだけ味わっているような気はしますよ。かなり難しい物語でも、読み方によっては子どもたちは夢中になって聞きますからね。